恋、売ります。

――次男目線の恋の話 『恋売ります』

そう書かれた看板に首を傾げる。恋を売る? 鯉の間違いか? それとも漢字間違いで「変」とか? でも変を売るってなんだ。
古い洋風の見た目をしたお店はそれ以外の物や店名が無く、本当に店なのかどうかも怪しかった。しかし、辺りを見回しても出張店(改造された車が道端に止まってジャンクフード等を売るようなやつだ)は見当たらず、やはりこの看板はこの店のものなのだろうと当たりを付ける。
ふむ。気になる。
良くも悪くも俺はニート。自由時間なら人一倍ある。オレは気の向くまま、店の戸を開けた。

――カランカラン。
扉についているベルが来客を告げるも、店員の姿は見えない。ぐるりと見回した店内はアンティーク調にまとめられており、落ち着いた雰囲気を醸し出している。全体的に温かみのある色合いの壁と、ぽつぽつと貼られたセピア色の写真、洋風の小さな小物に、何処からか香ってくるコーヒーの香り。これはトド松が知れば喜ぶかもしれない、と独りごちて直ぐカタリという音が聞こえた。
「――いらっしゃいませ」
鼓膜を揺らしたその声に、オレは直様顔をそちらへ向ける。
「…え、」
そこに居たのは、いつものパーカーではなく白いシャツに黒いパンツ姿で決めた――
「い、一松…!?」
いつものボサボサ頭ではなく、軽くオールバックにまとめ背筋も伸ばしている彼は、何処からどう見てもいつもの気だるそうな一松ではなかったが、死んだ魚の目や表情は変わらない。
店内の奥からうっそりと出てきた彼はオレの突然の大声に軽く片眉を上げると、いちまつ?、と零した。
「――…ああ、そのタイル模様ですか。確かに市松模様ですがそれが何か」
「えっ」
こてりと首を傾げる彼は足元の床に目をやり、「そんなに珍しいですかね」と言葉を続ける。まるで『いちまつ』という文字が『一松』という人名ではなく。さも『市松』と変換されたようなその言葉に、オレは困惑を隠しきれず取り繕うのも忘れ、続けて口から出た言葉はなんとも情けない響きがあった。
「えと…あの…一松……?」
「……?」
訝しげに寄せられる眉根。
どこからどう見てもその顔は一松の筈なのに、その声はどう聞いても一松の筈なのに、目の前の彼の反応は『一松』ではない。
やがて彼は納得がいったかのようにああと呟くと、2席だけ置かれた椅子の一方を引いた。ぎぎ、と床と椅子が擦れる控えめな音が耳をくすぐる。

「もしかして僕が知り合いに似てましたか」
「似てるもなにも――…」
彼は静かに椅子に座ると、向かいの席にどうぞと手で示す。どうしてこんな所に一松が? なんで一松じゃないフリを? という思考がぐるぐると回るが、とりあえずオレも座ることにした。

「で?」
「え?」
座った途端に彼が何かを促すように首を傾げたが、それを聞いたオレも同じように首を傾げる。それを見た彼――いや、他人行儀な表現はやめよう。だってどう見たって一松だ。そりゃあ服はバッチリ決めていて、髪型だって軽く後ろに流れているのなんて普段の一松では考えられないけれど、やっぱりどう見たって一松で、他の兄弟ではないのだ。それに…まあ万が一他人の空似というやつも有り得るが、それでなくても六つも同じ顔があるのだ。世界には自分と同じ顔をした人間があと2人居ると言われているが、自分と同じ顔をした人間が既に5人も居るのだ。それならもうその心配はないだろう。
閑話休題。
オレが首を傾げたのを見た一松は、少し呆れたような表情になったがそれも直ぐに消え去って、どんな恋がお好みですか? と言葉を続けた。
「……えっ」
オレはそれを理解できずにまた意味もなく声を上げる。
今なんて言った? どんな恋が好みか? いや、それを言ったところで何が起きるんだ…というより、弟に自分好みのシチュエーションを語るのもなんか恥ずかしいしな…いや20数年一緒に過ごしてきてこうボヤくのも変かも知れないが、やはり恥ずかしいものは恥ずかしい。
じい、と熟考するオレを眺めていた一松は、ふうとため息を付いて「ここが何だか、ちゃんと理解せずに入ったんですね?」と言った。呆れを隠すのを諦めたのか、言葉には若干馬鹿にしたような響きがある。
「看板を見て入って来られたんですよね」
「あ、ああ…『恋売ります』、だよな? こい…ってこう、魚のアレか? それとも漢字間違いで『変』とか?」
「いいえ、合ってますよ、恋で」
ちりん。
不意に足元から鈴の音が聞こえた。視線を落とすとそこには白いリボンを首につけた黒猫が居て、ひょいと一松の膝の上に飛び乗った。
猫を乗せた一松は彼――彼女かもしれない――を愛おしそうに撫でると、ゆっくりとオレに視線を合わせる。

「あなたはどんな恋がしたいんですか」

ここは恋を、売るところです。
一松のその言葉に同意するように、にゃあと黒猫が鳴いた。




...16/05/20





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