モノクロ猫はお嫌いですか

――色松のなんでもない話  がしゃん。
 いつもの平凡な日常を破ったのはそんな音だった。

「「あ」」
 いつも元気いっぱいの五男の笑顔が固まり、クールぶってる次男の顔が素に戻る。青ざめていく二人を気遣うこともなく固まる居間に、カラリと襖が開いた。
「……あ?」
 固まったその空気に違和感を感じたのか、居間に入ってきた人物――四男の顔が顰められる。
 いつもの無気力な顔は、居間に居る全員が自分へと視線を向けられているのをぐるりと見渡して、そして畳の上に転がった原因へと視線を移した。途端、納得がいったかのように「ああ、」と呟く。
「俺のコップが割れたからこんな空気なの」
 転がった原因――紫色のマグカップが、綺麗に真っ二つに割れていた。細かな欠片も畳の上に落ちていて、接着剤を使っても綺麗に元通りになることはないだろう。
 真っ先に動いたのは五男だった。
「兄さああああん!!! ごめんね!! 俺が壊しちゃった!」
「ああ、いいよ別に」
 むぎゅむぎゅと全力で泣きながら抱きついてくる五男――十四松を宥めるように撫でながら、一松はあっけらかんと言い放つ。その表情からも全く悲しみは感じられず、どうやら本当に『どうでもいい』と思っているようだった。
 もー、十四松兄さんったら泣くときも全力なんだからー、と言いながら塵取りで割れたカップを集めているのは末っ子のトド松だ。要領がいいのは日常でも発揮される。
「でもなんでこんな綺麗に真っ二つに割れたんだろ? いくらぶつけて落としたって言っても、ちゃぶ台と畳の距離なんてたかが知れてるだろ? しかも畳だし、そんな衝撃が強かったとは思えないんだけど」
「悪い実は俺が何度か台所で落としてた」
「おまえかよ!!」
 トド松にレジ袋を渡しながら疑問を口にすると、漫画を読んでいた長男・おそ松兄さんがひらりと手を挙げてそれが至極当たり前の如く暴露した。思わずツッコむ。
「じゃあ最後の衝撃が十四松兄さんになったわけだ」
「一松兄さんごめんなさいー!!」
「いいって。ほら泣くな十四松。別におれは気にしてないから」
「そうだぞ~一松がこう言ってんだから泣きやめ十四松~」
「おまえはもうちょっと反省しろ!!」
 元はといえば蓄積されてたダメージが原因だろうが!、と言ってもおそ松兄さんは何処吹く風で、でも最後割ったのは俺じゃねえもんと笑った。こいつ……。
 カップの破片を全て回収し終わり、十四松が泣き止んで一松がいつもの定位置に行き、またいつもの日常が戻ってきた。おそ松兄さんはまた漫画を読み始め、俺はタウンワークに目を落とし、一松はぼんやりと畳を見て、十四松とトド松は野球盤をやり始める。
 日常が戻ってきた中で、一人だけじっと固まったままの奴が居た。
「……」
 一松の方を見て、何か声をかけようと口を開けるも何も思いつかないのかまた閉じられる。
 それを何度か繰り返していると、視線に気づいた一松が「なに」と訝しげに顔を歪めながら小さく呟いた。

 一松のマグカップが壊れたのは、十四松のせいでもあるが――カラ松のせいでもあった。
 手鏡を見つめるカラ松の背後から突進した十四松は、ただただ兄に構って欲しかっただけだったのだろう。しかし全く予期してなかったカラ松は体制を崩した。慌ててちゃぶ台に手を付く。その際にマグカップに手が当たり、それはそのまま宙に浮いて――
 そして、冒頭の二人の声に至るのだ。

 声をかけられたカラ松は、いつものカッコつけを忘れて「あ、」とか「う、」とかを馬鹿みたいに繰り返している。そんな馬鹿で割れた一部始終を察したのか、一松は軽くため息を付くと追い払うように手を振ってまた畳へと視線を落とした。
「形あるものはいつか壊れるでしょ」
 そう呟く一松の言葉は、彼にかけられたものだったのか、ただの独り言だったのか。
 むぐ、と言葉を詰まらせるカラ松を放置したまま、日常はゆっくりと進んでいくのだった。

*

「……」
 野良猫との戯れから帰ってきたら家にクソ松しか居なかった。
 おれとこいつが会話することは基本ない。というのも、六人も居ると誰が主に発言をするか・行動を起こすかなんて自然と決まってくるもので、その中でおれとこいつは発言も行動も自ら進んですることはない、『みんながするから俺もする』という中でもクズな立ち位置に存在していた。
 そりゃ、自分がやりたいことは勝手にするし、日頃誰がどこに行ってるかなんて気にすることはない。みんな、とは言うがつまるところ自己中心的なのだ、ぼくたちは。
 ちらりと視線を向けるだけで、お互い言葉を交わすことはない。
 おれはのっそりと歩いてソファに座ると、帰りがけに寄ったコンビニで買ってきた雑誌をぱらりと開いた。何気なく入ったコンビニにあった、とある猫特集の雑誌だ。何も買うつもりがなくても、こうして時々当たりがあるのだからコンビニは止められない。それに本や雑誌はどこで買っても値段は一緒だ。ポイントを貯めているところで買うのが一番賢いだろう。
 様々な猫の写真が掲載されているのを見ると頬が緩んでくるのはもう自然の摂理だ。どうしてもこう猫は愛らしいのだろうか。絶対的に人間に媚びないその自由気ままなところが尚いい。

 雑誌に集中していたからだろうか、隣にあいつが座っていたのに気付かなかった。
 気付いた時にはそいつは雑誌を覗き込むように座っていて、おれの視界の邪魔にならない程度に顔を近づけている。
 今更仰け反るのも、立ち上がるのも無様かと思い、おれは気にしないことにした。隣のこいつを気にかけている暇はない。手の中の雑誌を楽しむのが先だ。
 そうしてよくわからないままおれとそいつは同じ雑誌を読んで、時間が過ぎていった。
 なんだこの状況…と思いつつもページをめくる手はやめない。だって猫が待っているのだ。読まなくてどうする。
 そうこうしている内に誰かが帰ってきたようで、玄関の戸が開く音がした。と同時にその音と声で誰が帰ってきたかわかるくらいには、伊達に20年余りを過ごしていない。
そろそろ皆も戻ってくる頃かと雑誌を閉じ、ソファから立ったところでクソ松が何かを呟いた。
「何?」
「あ、いや……なんでもないさ」
 ふ、と決めポーズのようなものをしつつ、言うつもりはないらしい。そのまま立ち上がったかと思えば、おれをスルーし先に部屋から出て行ってしまった。
「……あ?」
 なんだあれ。
 いつにも増してあいつの行動が不明だが、元々そうわかったものではない。あいつにはあいつのルールがあるんだろうし、おれにはおれのルールがある。兄弟とはいえ、個々の尊重は大切だ。……あれ、おれ何考えてたんだっけ?
 首を傾げつつ、とりあえず雑誌を自分専用のボックスにしまうと(押入れの中に各々専用のボックスがある)、また誰かが帰ってきて騒がしい一階へと足を運んだ。

*

 それを見つけたのは偶然だった。
 いや、偶然というか必然というか、あからさまというか…まあ、どうぞ見つけてくださいと言わんばかりに主張していたそれを持って、おれは居間に戻る。
「おい」
 ちゃぶ台に肘を付き、なにが楽しいのか自分の顔を見つめていたクソナルシスト――カラ松に、声をかける。
「ン~? どうしたいちまぁつ?」
「これおまえだろ」
 言いつつ、手に持ったそれをちゃぶ台の上に置いたそれは白ベースに、黒猫のイラストが描かれたマグカップであった。
「…何のことだ?」
「とぼけんなよ。おまえだろ」
 そのままちゃぶ台の前に座り、じっとクソ松を見つめる。うろうろと視線を彷徨わせていたクソ松はその後観念したかのようにため息をつくと、そっとおれに顔を向けた。
「…なんでわかった?」
「いやわかるだろ。これ、おれにでしょ」
「……ああ」
 割れたマグカップとは全く違うも、大きさはほぼ同じで、元の割れたマグカップが置かれていた棚の場所に置かれていたのだ。自意識過剰でなくとも、これが自分のだと思うだろう。しかも猫モチーフだ。
 最早家族の常識になりつつある己の猫好きは、特に隠してもいないからか家族以外にも――チビ太やトト子ちゃんとかにも――知られていて、一松といえば猫だろ!、と猫を見かけるとおれに報告してくるくらいだ(勿論それは普通に嬉しいし、基本街中で見かける猫はおれの友達だから、そのまま言われた場所に赴くことも多々ある)。
 だからこうして猫のマグカップが置かれているということは――やっぱり、自意識過剰でなくても自分のものだと思ってしまうのは仕方のないことだと思いたい。
「どうしてオレからだってわかった? 何も書いてなかっただろ」
「いや、だってあの時おまえ納得してなかったじゃん割れたこと。おまえだけ気にしてただろ」
「……」
 もにょりと口元をまごつかせつつ、正に俯伏だと言わんばかりに「そうだ」と言うクソ松の顔は、最高に不細工で笑えてしまう。
「で? なんで?」
「……なかったんだ」
「は?」
「割れたマグカップと同じやつ。なかったんだ」
 むっすりと、不機嫌そうな顔で続けるクソ松は別に機嫌が悪い訳ではないのだろう。ないのだろうが――
(……いや、なかったから何?)
 確か、あのマグカップは『色の種類が豊富!』という名目で売り出されていた商品だったかと記憶している。だがまあ、必ず店頭にあるものではないだろう。そもそも普段、トイレットペーパーや食品等、日常消耗品の買い出しには行くが、キッチン用品(コップがキッチン用品に含まれる事すら知らない)売り場なんか行く機会がない。だからきっと、探せばあったのかもしれないが――まあ、なんだかんだでこのクソ松も内弁慶なのだ。店員に聞くこともできなかったのだろう。(それか、聞いたのは聞いたがクソ松語すぎてスルーされたか)
「いや、なんでこれにしたのかっていう質問じゃなくて……」
「? おまえ猫好きだろ」
「いやだからそうじゃなくて」
 おれのマグカップが割れたからって、なんでおまえがその代わりを買ってきたのかを聞いてんだけど。
 おれのその質問の意図に気が付かないクソ松は、ううん、と腕を組みながら黒猫モチーフのマグカップを見つめつつ言葉を紡ぐ。
「本当は同じやつとか、せめて紫色のやつが良かったんだろうが、ちょっと見つからなくてな。こう…紫色っていうものが少なくて。あったと思ってもなんか小さかったり、マグカップじゃなくて…あれなんて言うんだ? まあわからんが、こう、なんせ紫色のが見つからなくてな。どうしたもんかと思ってたんだが、おまえこないだ猫の雑誌見てたろ。それで、紫色がないならせめて猫のマグカップならいいんじゃないかと思って。それで、店に行ってみて猫のマグカップで探すと沢山あってな! 且つ紫色ならよかったんだが、なかったし、他の兄弟の色も嫌だろうと思ったから白と黒のやつにしたんだが……駄目だったか?」
 困った顔でこちらを伺いつつ、こてりと首を傾げたクソ松の背後に『しょんぼり』という文字が見えてきそうだ。
「……」
「一松? ……やっぱ駄目だったか?」
「いや……、いや、もう、なんでもいいよ」

 別に。
 本当に、気にしてなかったのだ。
 形あるものはいずれ壊れる。確かに皆とお揃いのマグカップが壊れたことは悲しかったが、所詮物は物。どうしても欲しければ新しく買えばいいし、別にこれといった思い出もなかったし、まあ残念だったなと思った程度。
 それをまさか、こういう形で戻ってくるとは思ってもみなくて。
「……まあ。どうせ罪悪感とか、善意とか、そういうもんだろうけど」
「? 何がだ?」
「なんでもねえよ。…ま、そんな事なら遠慮なく使わせてもらうわ」
 ひょい、と黒猫のマグカップを持ち、台所の棚に戻そうと立ち上がる。
「ああ! 是非使ってくれ!」
 まるで自分が貰ったかのように喜ぶクソ松に辟易しつつも、なんだかんだ喜んでしまう自分が居て。

 新しくおれの物になったそいつは兄弟の誰の色でもなかったが、正しく『おれの物』だと、その猫は言っていた。




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