デート未満、おつかい以上。
――キャラメ視点、とある日常風景 「キャベツじゃん!」「……ノートさん…………」
生業である季節菓子職人の名の元、季節の旬な果実を求め市場に足を運んでいたキャラメ・リゼは、雑多な音の中で一際大きく聞こえたそれにゆっくりと顔を向けた。
「どしたのキャベツ、買い物?」
「ええ、まあ……」
人懐こい笑みを浮かべながら近付いてくる少年──ノートは、キャラメの隣に立つと目の前の果実を見回す。
「ああそっか、パティシエなんだっけキャベツって。凄いよな、オレも食ってみたい」
「お店に来てくだされば食べれますけど」
「でもオレ店の場所知らないもん」
不服そうに頬を膨らませる彼は、見た目の通り好奇心旺盛な子供だ。蜂蜜色の髪と、紅茶色の瞳。布がたっぷりと使われた衣装はきっと良いところのお坊ちゃんなのだと思うが、足は素足なのだ。足首にあるアンクルに何か細工があるのかもしれないが、舗装されていても多少の小石が転がる道で怪我はしないのだろうかと見ているこちらが少々不安になる。
頬をつつけば唇から空気が抜ける音がするだろうと思うような、そんな間抜けな表情を見つつ私は眉を顰めた。
「占えば直ぐでしょう」
そう、彼──ノートは占い師である。正しくは『裏』占い師だ、というのが彼の主張だが。
彼の占いは百発百中のようで、お客が途絶えない──らしい。人気占い師である彼には何人もののスポンサーがついている──らしい。彼本人が面白いと思った内容以外は占わず、面白いと思えば、今度飼う予定の犬の名前は何がいいかとか、明日のデートに着て行く服はどんなのがいいかとか、そういう下らないことまで占う──らしい。あくまで噂なので本当かどうかは知らないが。
「というか、私キャベツじゃありませんから!」
「ええ? でもキャベツじゃん」
「キャベツじゃないです!」
ぴ、とノートが指をさしたのは私の服だ。どうやら彼にはこのスカートがキャベツに見えるようだ。
「えー、キャベツじゃないならレタス?」
「レタスでもないですぅ!」
「じゃあやっぱキャベツじゃん!」
けらけらと楽しそうに笑う彼にこちらは涙目だ。このやり取りも何度目になるのか忘れてしまった。というか初対面の自己紹介も始まっていない時点で既に「なにその服! キャベツ!?」と言われた気がする。
「ノートさん、私の名前知ってます……?」
「え? キャベツ」
「違います! キャラメです! キャラメ・リゼと申しますって何度も言ってるじゃないですかぁ!」
ぐっと両手を握り締めてそう訴えるものの、ノートは何処吹く風だ。こてりと傾げられた耳に、羽根の耳飾りが揺れる。
「でもおまえ『キャベツ』で返事するじゃん」
「うっ」
「それに『キャ』は合ってんだし、ほらアレ。あだ名的な感じでいいんじゃない? それにやっぱりそれどう見てもキャベツだし」
「キャベツじゃないですぅ……!!!」
今日こそは負けないと両手に力を入れていると、不意に「で、熱くなってるとこわりぃんだが、そろそろいいかい?」と左側から声が聞こえてきた。
はっと視線を左側にやれば、苦笑する果実屋のおじさんの姿が。そうだ、買い物途中だった!
「す、すみません!」
「いやいいんだよ。んでお嬢ちゃん……ええと、キャラメちゃん、だったかな? 何を買うかい?」
慌てて右手を左胸に当てれば、気にした素振りもなくおじさんは笑ってくれた。よかった、いい人そうで。
斜めの台に敷き詰められた様々な色の瑞々しい果実たちが目の前に並ぶ。一つ隣の店の台には美しい絨毯が並べられていて、逆隣には綺麗な模様が編み込まれた手提げ籠が並んでいた。
本来の大通りの左右にびっしりと隙間なく並んだ屋台には、それぞれがそれぞれの自慢の品を並べている。真ん中の道幅は大人が横に20人並んでも余裕があるほどだが、今はその余裕がないほどには人が溢れかえっていた。
恐らく昼前だからであろう、少し早めの昼飯にと屋台で買った物を食べ歩きする者や、屋台裏の広場にあるベンチに座って食している者もいた。少々匂い酔いになりそうなほど、様々なものが溢れている。
「ええと、そうですね……」
今日キャラメが市場に来たのは季節菓子職人である自分が果実を作るための材料探しだが、店のための買い出しではない。店の買い付けは大量になり、天の日限定の市場でそれを買うには足りないのだ。
では何故ここにいるのかというと。
(そろそろ季節の変わり目ですし、今日の市場くらいには新しい果実が並ぶ頃合いだと思っていたのですが……)
そう、季節菓子職人は名前の通り、その季節の菓子を作る職人だ。もう少しもすれば風の月となり気温も直ぐ上がるだろう。今でも日中にじんわりと汗をかく程には、風の頃合が強くなってきた。
キャラメは季節菓子を作るために、数回は必ず自宅で試作をする。自分でも納得できる作りになれば、店で再度作って、職場仲間に食べてもらい販売するかしないかを決めるのだ。
その試作の材料のために、キャラメはここに着ていた。個人的な買い物でもあり、後に店のためにもなる重要な買い物だ。
だが──
(少し早かったですかね。風の月である果実は……三種類しかありません)
色とりどりの果実の殆どは花の月の果実だ。風の月の果実はほぼない。菓子に使えるかどうかと考えると、ゼロに等しかった。
どうしようかと悩んでいると、すっかり存在を忘れていた彼──ノートが、ひょこりとアンテナを揺らしながら進み出た。
「では、ミッツィアと、ハウロと、ヤーリア。これを五個ずつお願いできますか?」
「あいよ、少し待ってくれ」
「あと甘藍も。これは一つで」
「あいよ。別の袋に分けていいかい?」
「ええ、構いませんよ」
流れるようにそう注文したそれらは、正に先程どうするか迷った風の月の果実である三種類だった。最後の追加の名前はよく知らないが。
驚いてノートを見ると、イタズラが成功したような、なんだか得意な表情でこちらを見ていたので、ちょっとむっとする。
「……なんですか」
「いや、キャベツってわかりやすいなぁと思って」
「か、顔に出てました!?」
「目は口ほどに物を言うよね~」
その言葉にぱっと両頬を覆えば、一瞬キョトンとした表情をしたノートは面白そうなものを見たかの如く破顔した。
……というか、思わずノートの表情に釣られてしまったが、まさかノートがあんなに丁寧な言葉を喋れるとは思わなかった。私の前では最初から砕けた口調だったので、丁寧な口調ができるとは微塵も思ってなかったのだ。
……初対面で『キャベツ』と言われ、初対面で砕けた口調って、……やっぱり……し、下に見られてるのかなぁ……。
「はい、えーと……合計で2160ミルか。2000ミルでいいよ」
「いいんですか? ありがとうございます」
「なぁに、いいってことよ。向こうのマヤナ広場の近くで俺の連れが飯出してんだ。よかったら食ってってくれ。旨いぞ」
「ふふ、わかりました。是非」
思い悩んでる間に、彼の品物は用意できたらしい。紙袋を二つ受け取りこちらを向くと、「んじゃ行くぞキャベツ」と酷く当たり前の如く口にした。
「え? え? あの?」
「ほらほら行くよ~」
何か用事があるのだろうか。
私はおじさんに別れの挨拶をし、慌ててノートを追う。足はどうやらマヤナ広場を目指しているらしい。人混みに呑まれないよう気をつけながら、私は目の前を歩く蜂蜜色についていく。
と、思ったら屋台と屋台の間を通って市場から離れてしまった。急に少なくなる人混みと匂いと音に少しだけほっとしていたら、数歩先を歩いていたノートがくるりと振り返って立ち止まった。そして。
「はいこれ」
「え?」
ずい、と差し出される紙袋。そこには買ったばかりの果実が入っている。
「え? あの、これ」
「いーから早く持ってよ~! 重いじゃん!」
「え!? は、はい!」
慌てて受け取れば、「受け取ったな?」とにやりと笑った──それにちょっと涙目になってしまったのは気付かれてないと思いたい──途端、ノートは私から距離をとった。
「え? あの」
「あげる」
「え!?」
視線が紙袋と彼の顔を往復する。何度見ても手元には果実があり、彼との距離は遠い。
「いやあの、えと、困ります!」
「返されるとオレも困る~」
にこにこと笑う彼は慌てる私を楽しんでいるようだ。
返すにも両手を伸ばしても手が届かないし、普通に渡したところでノートが素直に受け取るとは思えない。紙袋なので投げるにも投げれないし、投げたところで果実が無駄になるのは目に見えていた。
「じゃ、じゃあせめてお代を…」
2000ミルは子供にとっては大金だ。キャラメが作る季節菓子だと買えて四つか五つが限度だろうが、駄菓子だと両手いっぱいから溢れるほどは買えるだろう。一番手軽なコーリアのガムやサイディアの飴なら100個は買えてしまう。
と、懐から財布を取り出そうとして――…できない事に気付いた。
(両手が塞がってて身動きが……!)
取り出したいのに取り出せない。
そんな私の慌てぶりを、ノートはにこにこと――いや、にやにやと言ってもいいだろう。そんな笑みを浮かべてこちらを眺めている。
……これも彼の『面白いこと』になるのだろう。ということは、こうなることは予想通りということだ。
悔しさと羞恥となんだかよくわからない感情で涙目になってきた。そんな私の顔に満足したのだろう、ノートはにやにやとした笑みを浮かべたまま「お代はいらないよ」と告げる。
「その代わり、それでできた新作のお菓子をオレにちょうだい」
「え、これで、ですか」
「そ」
視線を手元に落とした。そこには風の月の瑞々しい果実たちがある。
これで菓子を――しかし、先ほども思ったが余り菓子に向いているとは言えない。
キャラメは基本、一目見ればその果実を使った季節菓子を思い浮かべることができる。その程度には実力があるのだが、如何せん見た目と弄られやすい性格の為かそうとは見られない。まあ、自覚はあるので別に気にしていないのだが。(勿論自分でもこの性格は治したいとは思っているし頑張っているのだが、それが功を成したという出来事は今のところない)
ううん、と悩むキャラメに気付いたのだろう、ノートはにっこりと笑うと「大丈夫」と言った。
「できるよ」
「……占ったんですか?」
「ううん、オレの勘!」
きっぱりと告げるそれに若干肩透かしを喰らいながらも、ノートの勘はこれまで外れたことはなかったと思い直す。
――彼ができると言うのならば、できるのだろう。
わかりましたと頷くと、ノートは満足したかの如く頷いた。
「あ、でも……それでもまだ不釣り合いだと思います」
「え~そう? 新作のお菓子作りの奮闘時間に、それが無事完成した際の完成品の試食……充分というか、それ以上だと思うけど」
「うーん……でも……」
確かに試行錯誤の時間とその他にかかる材料の原価、作る手間などを考えれば2000ミル以上というか、価格では表せない価値になってしまうだろう。しかしそれとこれとは別の、感情の問題なのだ。
……あと純粋に、彼に貸し借りはしたくない。なんとなく後が怖い。
「うーん、じゃあさっきおじさんが言ってた店で昼飯奢ってもらって、一緒に食べるってのはどう?」
「それなら……はい、大丈夫です」
それで少なくとも、貸し借りにはならない筈だ。
了承すると、ぱっと嬉しそうに笑ってじゃあ行こう!とはしゃぎ出す。こう見ると本当に年相応の子供だ。
私はちょっとだけ微笑ましく思いながら、未だ人集りの多い市場の通りへと彼と足を運ぶ。
――店の前で再び、両手が塞がっていて財布が取れず、彼に昼飯も奢ってもらい、尚且つ口まで運んでもらうという出来事が待ち受けているとは、この時の私は全くもって予想していなかったのだった。
...19/02/17