第一章 まずは自己紹介から

09  祖母の突撃訪問から一週間後。彼女は再び訪れていた。今回もアポイントメントをとっていない常識外れな訪問である。

(子供に対して気を使うということを思いつかないタイプというか……自分の子供には何しても許されるとでも思ってるのかな。どちらにせよ非常識だよね)

 再び玄関が五月蝿くなるのを、玄関からは見えない廊下で聞く。まあそんな事をしなくとも聞き耳をたてれば聞こえてくるのだが、これは誰にも教えていないため、常識の範囲内での立ち聞きしているのである。
 ちなみに、本日の服装は鮮やかな青色のシンプルだがリボンが可愛いドレスだ。タリアさん監修の髪型は、編み込みとハーフアップの合わせ技で、青色と白色の小さな生花が所々に散りばめられている。自分では絶対できないが、可愛らしくてテンションが上がった。
 ガヴァルとガヴィーには、部屋から出て来ないように伯父さんが言いつけてある。恐らく今日は文字や簡単な計算などの座学がメインになるだろう。机の前にじっとするのは苦手なようだが、今日だけは頑張ってほしい。

「タリアさん、これからの私の行動全て、私の責任だからね。もし何か起こっても、『わからない』で通してね」
「…………」
「タリアさん」
「……はい」
「うん、ありがとう」

 斜め後ろに佇むタリアさんに振り返って『お願い』をする。普通(“私”の普通だ)4歳がこんな言動はしないと思うが、元々いろいろとやらかしてしまっているし、私は大人びているという認識をしてくれているようで正直助かる。
 そうそう、4歳になって教養だけでなく座学も始まったが、予想通り私は普通よりもできるようだった。
 ガヴァルとガヴィーが4歳になった後は一緒に座学を受けることとなったが、レベルが違いすぎて即座に別々になった。わざわざ私のために家庭教師を用意してくれた伯父さんには、本当に頭が上がらない。

 閑話休題。
 私はさっと姿勢を正すと、未だ五月蝿い玄関へと足を動かす。後ろからタリアさんがついてくる気配がして、そっと両手を握り締めた。

「──お祖母様」

 ただっ広い玄関ホールには、伯父と祖母、多くの使用人が集まっている。服装が若干違う使用人は、恐らく祖母が連れてきた者達だろう。主人の都合に振り回される使用人も大変である。
 私の声に反応し、その場にいる全員がこちらを向く。視線が絡まったのを確認して、そっと微笑んだ。

「あら、レヴィーレちゃん! こんにちは、今日は可愛らしいのねえ! よく似合ってるわ!」
「ありがとうございます」

──あなたの毒々しい赤黒いドレスは正直どうかと思うよ……いや好きな服着ればいいけどさ。

 相変わらずの騒々しさで、祖母は大袈裟に声をあげる。女の子の格好をしているからか、最初から上機嫌だ。
 私がゆっくりと階段を降りると、あと数段で終わりというところで伯父が手を差し出してくれた。その手を取って、階段を降りきる。
 『ありがとう』と言うようににっこり笑って見上げると、伯父は少し心配そうな、苦そうな表情でこちらを見てきた。にっこりと見つめたまま、ぎゅっとその手を握り締める。4歳の思い切りの力なんてたかが知れてるが、私の気持ちは伝わっただろう。
 するりとその手を離し、祖母に向き直る。にこにこと上機嫌に笑っている祖母の瞳は笑っていない。頭の上からつま先までじっくり観察されるのを感じながら、私は「そうだわ」と手を打った。

「お祖母様、よろしければこれから一緒に私とお話しませんか? 今日の教養はお茶会ですの。お祖母様がよければ、私のお手本になってくださいませんか?」
「あら、いいわねぇ。是非参加するわ」
「ありがとうございます! では、準備を」

 お茶会に誘われるのが目的だったのだろう、途端に祖母は身体を揺らし、こちらへと促す使用人の声よりも先に歩き出した。元はここに住んでいたのだから、何処でお茶会をするかを知っているのだろうが──案内よりも先に動いてしまうとは、到底『お手本』とは言えない。
 視線を感じ振り返ると、心配そうな伯父とタリアさんがいた。
 私がこれから祖母の相手をすることが不安なのだろう。でも、それを阻止したくともどうしようもないこともわかっている。だからこそのこの表情だ。
 私は本当に愛されてるなぁと思いながら、二人に笑いかける。淑女の微笑みではなく、悪戯っ子の男の子っぽい笑みを意識して笑えば、二人はちょっと安心したように、困ったように微笑んだ。
 私は踵を返し、お茶会の会場となる部屋へと向かう。控えていた使用人が近付き、ドアをノックし私の訪れを告げた。
 中の使用人が返事をし、ドアが開かれる。

──さて、勝負だ。

 お茶会にと用意された部屋は、いつも淑女の練習をしている薔薇園に面した部屋だ。大きくとられた窓からはサンサンと日光が降り注ぎ、薔薇園の美しさを部屋から堪能できる。バルコニーから出れば、そのまま薔薇園を散策できるとても明るい部屋だ。
 昔、祖母が本家の夫人だった頃のお気に入りの部屋だそうで、先に部屋のソファに寛いでいた祖母は満足そうに庭を眺めていた。寒さが目立ってきた時期ではあるが、庭師の手入れがいいのか薔薇は綺麗に咲き誇っている。冬に咲く品種なのだろうか? あとで聞いてみてもいいかもしれない。

「お待たせいたしました、お祖母様。このお部屋はお祖母様もお気に入りと伺っております。どうぞごゆっくりお寛ぎなさってくだされば嬉しく存じます」
「ええ、そうねそうするわ。それにしても偉いのねぇ、ちゃんと立派なレディじゃない。この前会った時はどうなるかと思ったけれど、しっかり喋れるのね」

 おほほと笑う祖母に、思わずひくりと笑みが引き攣る。
 女性用の柔らかい言葉──ですわとかなのねとかそういう語尾だ──は、種類があって発音が意外と難しい。丁寧語とか尊敬語とか細かい種類があるのは日本語だけだ〜と思っていたが、勉強すればするほどこの世界の言葉にも似たようなものがあったのだ。
 もちろん、「私」は一種類しかないが、その他の語尾や言い方で「俺」や「わたくし」になる。それに気づいた時の衝撃と言ったらなかった。──まあ、そう翻訳しているのは私だけで、本当は皆「私」と言っているだけかもしれないが。
 要は勝手に『この人の一人称は“ぼく”っぽいな〜』と耳で拾って当てはめているだけなのだ。まあ、女言葉や男言葉があるのは確実だ。少なくとも、女の教養の時と男の教養の時とで喋り方は変えるように指導されている。ガヴァルやガヴィーも、前は同じ口調だったのに今では普段から少しずつ差異が出てきている。ガヴァルは男っぽく、ガヴィーは女っぽくだ。

 この前会った時は男口調だったため、今の女口調に満足しているのだろう。どんな喋り方だろうが私は私だ。若干キレそうになりながらも、「まだまだ勉強中の身ですので」と言葉を濁す。
 ていうか、私まだ4歳だよ? “私”を思い出してからは本当の精神年齢は20歳越えてるとは言え、普通本物の4歳児にそこまで言う? むしろ4歳としたら出来すぎてると思うんだけど……、……出来すぎてるよね?
 若干自信がなくなってきたが、祖母は4歳児に求めるレベル以上のものを求めていると思う。これが嫌がらせからなのか、本気で言ってるのか判断しかねるが──恐らく本気、なのだろう。
 私はまたしっかりと笑顔をつくると、祖母の向かいに腰掛けた。控えていた使用人がさっと紅茶とシフォンケーキを用意してくれる。私は食べられないが、勉強のために私の分も用意された。
 さて、恙無くお喋りを──と言いたいところだが、苦手意識のある祖母と有意義な時間が過ごせるとは到底思っていない。当たり障りのない返答と質問を繰り返し、どうでもいい話題をさらりと流す。笑顔を貼り付けたまま話半分に適当に対応していた。(こんな4歳児私なら絶対ごめんだ)

「5歳の誕生日、女の子を選ぶのよね。そうしたらお祝いに素敵なドレスを作らせてあげるわ! お揃いの髪飾りと靴も買ってあげましょう。綺麗な髪だからなんでも似合うわねぇ、きっと美しくなるわ」

 笑みを保ったまま私は固まる。

──きた。しかも断言してる。

 私は一言も『女になりたい』とは言っていない。男になりたいわけでもないが、でも女には女の、男には男の利点があって迷っている段階だ。もし“私”がどちらの性別だったかを覚えていれば、どちらにするか決めることは容易だったのかもしれない。
 しかし、こうして断言されると──女になる気が一気に萎えた。天邪鬼なのだろうか? ……いや、もし伯父さんに言われたら成ると決めるだろうし、言ってくる人間が問題だろう。

「……私はまだ、どちかにするか決めておりませんので」
「あら、何を悠長なことを言ってるの? そうやって決めかねて両方の教育を受けていたら、最初から片方の教育を集中して受けている子に負けるのよ?」
「…………」

 祖母の言っていることはわかる。
 ガヴァルは男の教養、ガヴィーは女の教養と、最初から完全に集中して受けていた。ひと月ほど早い誕生日のお陰でどちらの教養もまだ二人には勝っているが、それも時間の問題だろう。
 座学はほぼ最初から二人とやっておらず比べることは出来ないが、教師や周りの反応からして大分差をつけているらしい。双子は机の前でじっとすることが苦手らしく、あまり進んでないようだ。精神が大人である私は特に苦じゃないので、暫くは座学は負けないだろう。

 双子は“本当の4歳児”だ。私のような狡く歪な存在ではない。
 『好きこそ物の上手なれ』という“私”のところにあった言葉からしても、二人は楽しんで、自ら進んで男女別の教養を受けている。
 『二兎追うものは一兎も得ず』。──祖母はそう言っているのだろう。中途半端にやっていて、最後に得られるものは果たしてあるのだろうか?
 それでもまだ、私は決められない。
 裁縫や花、絵を描くことが好きだ。可愛いものだって好きだし、ドレスを着てダンスすると、まるで自分が主役になったかのように思う。
 でもそれと同時に、乗馬や剣、狩りも好きなのだ。大空の下で馬の背に乗って駆け回り、師匠に剣を当てるために作戦を考え行動すれば、まるで自分が国一番の騎士になったかのように思う。
 両方楽しい。だからこそ、

──女になることを強要されると成りたくなくなるし、選択肢を潰されることに腹が立つ。

 反抗して男になったらなったで何かしら言われるだろうが、素直に女になって祖母の駒になりたくはない。ああ、本当に。

──これまでどっちにしようか楽しみにしてたのに、その楽しみを奪われたのが許せない。

 その苛立ちを抑え、さてどう返答するか少しだけ考えて──まあ愚問だなと即結論を出した。

「私、男になろうと思います」

 ここでもし女になると発言すれば、この祖母は本当にその選択肢以外選べなくするだろう。性別が定まるまでは身内以外に存在が知られない“神の子”の存在を、これ幸いと知らしめようとこの祖母は動く。その確信があった。
 もし私があとで『本当はまだ迷っているんです』と言えば、伯父はこれまで通りに男女の教養を受けさせてくれるだろうが、外堀を埋められてしまえばどうしようもない。
 発言をなかったことにできる身内だけの問題ではなくなるのだ。

 私の宣言を聞いた祖母はそのまま数秒固まると、ゆっくりと首を傾げた。

「……おかしいわね? わたくし耳が遠くなったのかしら。もう一度言ってくれる?」
「私、男になろうと思います」

 一字一句違わずにもう一度言ってやる。祖母の口端が引き攣るのを、少し愉快に思った。

「……本気かしら」
「どうでしょうか」

 素知らぬフリで笑ってやる。淑女の微笑みなど必要ない。この場は既に戦場だった。
 また何処からか出した扇で口元を覆った祖母は、まるでドブネズミでも見るかのような視線で私を見やる。変な笑顔と値踏みするような視線よりは大分マシで笑ってしまった。そうそう、その蔑んだ目があんたの本性だろうが。

「可愛げのない子ね」
「それはどうもありがとうございます。とても嬉しく思いますよ、太母様」

 またひくりと祖母の眉が顰められる。
 可愛くない? いいね、褒め言葉だ。あんたに可愛いとは思われたくはない。心の底からそう思う。
 祖母はイライラと身体を揺すり、扇を開いたり閉じたりと忙しない。その行動が私の発言のせいだと思うと心底愉快だ。
 しばらく嫌そうにこちらを見ていた祖母が、ふと目を細める。扇の向こうでは頬の重い肉を持ち上げて失笑しているのだろうか。

「──どうして女に成りたくないの? 少なくとも楽しんでるようだけれど?」
「あなたの駒になりたくないからですね」
「駒? どういうことかしら」

 湾曲せずにはっきりと。そう決めれば割と気が楽だった。もともと遠回しに言うようなネチネチした物言いは得意ではない。
 きょとんと心底不思議そうに首を傾げる祖母は恐らく演技なのだろうが、あまりにも自然で嫌になる。

「『ヴィオク』から王子と結婚させて自分の地位を上げたいのでしょう」

──そうして裏で私に指示を出し、自分の思い通りに事を進めようとしているのだろう。

 政略結婚についてはまあ、異論はない。
 正直“私”の時にも、恋愛結婚が多いとはいえ見合いや家同士の繋がりのための結婚もあっただろう。なので、もしも自分が政略結婚の駒にされたとしても仕方のないことだと思っている。
 ──しかし、これは違う。
 確かにヴィオク家の地位向上としては王族と結婚させるのが手っ取り早い。もし伯父がそう望むのであれば、私は文句も言わず最初から淑女の教養のみを受けていただろう。
 だが、どうやらそれは不必要であると、教師の何気ない雑談で知ったのだ。
 ヴィオク家は王家に次ぐ最大権力保持家らしい。質問したら逆に驚かれた。どうやらそれは家族と過ごしていて、それとなく察したり話題に出たりするものであってわざわざ聞くようなものではないらしい。それを聞いてああ~となってしまったのは仕方のないことだと思う。伯父さん伯母さんにはとてもお世話になっているが、やはり『家族』ではないのだ。というか向こうはそう接してくれていると思うが、こちらがどうしても遠慮してしまう。なのであまり家族の会話をしてこなかった。勉強をしていたかったというのもある。
 そうして勉強合間の雑談で、己がやはり貴族ということとヴィオクは国内の三大貴族と呼ばれる家だということを知った。他の色は──と続けて聞こうとしたら時間切れになったので、また時間がある時に聞こうと思う。ま世論の勉強は5歳以降らしいから、あんまり突っ込んだところを聞いても答えてくれなさそうだが。

 ヴィオクは王家に次ぐ権力保持家だ。そんな家が王家と婚姻を結ぶ必要もメリットもない。むしろ王家は拒否するのではないのだろうか。
 しかし祖母はそれを成そうとしている。恐らくヴィオク家のためではなく、己の欲望のために。

 私が王子について言ったことに驚いたのか、目を見開いた祖母はまた目を眇めて「面白くないわ」と呟いた。私は面白いよ。世間から隠されている神の子が世間のことを知っていたから、自分の予定が崩れてイライラしているのだろう。そういう意味でも聞き耳をたてていてよかったと思う。

「私はそれをお断りしているのです。それにきっと王子の婚姻候補は沢山いるでしょう? 私が女になったところで選ばれるとは思いませんし、そもそも私はあなたの言いなりになりたくありません」
「本当に可愛くないわ、××に似たのねきっと。忌々しいこと」
「それはどうも」
「本当に可愛くないわね。……あなた、わたくしの駒になりたくないと言ったわね……でも女に成るのはあなたのためでもあるのよ?」
「……どういう意味ですか?」

 私のためという言葉に眉を顰める。女になって祖母の駒になる以上に男になれば悪いことがあるのだろうか。

「あなたが男に成れば、ガル・ヴィオク家の跡継ぎにと担ぎ上げられるでしょうね」
「……はい?」

 この人は一体何を言っているのだろうか。私がガル・ヴィオク家の跡継ぎに?
 ガヴァルとガヴィーは三番目と四番目のガル・ヴィオク家の子供だ。祖母に存在を知らさないようにしているのは、きっと私のように駒にさせようと近づいてくるのを阻止するためだろう。王子と同い年らしいし、婚姻相手としては丁度いいのだから。
 存在が知らされている一番目と二番目は現在、学園に通っているらしい。世間との繋がりがない私でも、それが長男と長女であるという情報はもっている。……名前を入手することはできなかったけど。
 いやおかしくない? この家の子なんだよね? そこまで徹底して隠す必要ある? どうやら上の性別によってどちらにするかの判断を鈍らせるのを阻止するためらしいが──5歳になるまでは兄や姉に会えないのはどうなんだろう。
 話を戻そう。
 そう、ガル・ヴィオク家には長男がいる。ガヴァルがこのまま男に成るなら、次男もいることになり跡継ぎの問題を考える必要はないだろう。これで一番目と二番目が両方姉ならば、必然的にガヴァルが跡継ぎになるだろうが。
 この世界の跡継ぎ問題についてはよく知らないが、普通は長男が継ぐものではないのだろうか? もし長男に問題があれば次男が継ぐだろうが──でも少なくとも、部外者である私が跡継ぎ問題に関与することはないはずだ。
 私はレヴィーレ。伯父と伯母から養子に入るかと打診されたが、私はレン・ヴィオク=レンのままである。つまり、ガル・ヴィオク家とは関係のないレン・ヴィオク家の一人ということだ。……まあ、レン・ヴィオク家はもう私しかいないのだが。
 レヴィーレと呼ばれ慣れていたというのもあるし、私以外いなくなってしまったレン・ヴィオク家を残しておきたいという気持ちもある。家も伯父の約束通り定期的に掃除をされているらしいし、独り立ちができるようになればその家に帰るつもりだ。

 『レン・ヴィオク』である私がどうして『ガル・ヴィオク』の跡継ぎに担ぎ上げられるのだろうか?
 あまりにも意味不明で眉根を寄せていたのを見た祖母が、「変な顔をするのはおやめなさい」と馬鹿にしたように笑った。それにむっとしながらも、やはり理解はできずどうしてですがと言葉をつなぐ。

「ガル・ヴィオク家には長男がいるはずです」
「あら、それも知っているの? あなた神の子なのに世間のこといろいろ知ってるじゃない。噂好きなのね、女に向いてるわよ」
「話を逸らさないでください。普通跡は長男が継ぐものではないのですか? それに私はレン・ヴィオクです。いくらガル・ヴィオク家にお世話になっているとはいえ、私には継ぐ資格も理由もありません」
「そうね。もしもレン・ヴィオク家があなただけじゃなくもう一人子供がいて、レン・ヴィオク家が『レン・ヴィオク家』として動いていれば、あなたが跡継ぎに担ぎ上げられることもなかったでしょうね」

 さっぱり理解できない。どういう意味だろうか。

「……噂好きでも、しょせん神の子ねぇ。知らないはずのことを知っていて得意になったつもりかしら? みっともないからお止めになったほうが良くてよ」

 いらっとしながらも、正論のため無言に徹する。
 ──確かに、大分この世界のことを知ってきたし調子に乗っていたのかもしれない。まだまだ自分には知らないことが沢山ある。社会や世論をほぼ知らない私はまだ大人とやりあえる情報も言葉も持たない。

「……すみません」
「まあいいわ。あなた、今レン・ヴィオク家がどうなってるのか知っていて?」
「……世間的にはレン・ヴィオク家は没落したものと思われているでしょうね。私の存在は知られていないのですから、もう血は潰えたものかと」
「そうね。いくらあなたが『レン・ヴィオク』であったとしても、知られていなければ意味はないわ。来年、あなたが5歳になればレン・ヴィオク家はまだ潰えていないことを知らせることができるけど──それじゃあちょっと遅いのよねぇ」
「…………どういう、意味ですか」

 今レン・ヴィオク家は存在していない。伯父が家を守ってくれているようだが、それはきっと世間から見ればガル・ヴィオク家が保護・運用しているように思われていることだろう。
 しかしそれが何か問題があるのだろうか? 遅いとは、どういう意味だろうか?

「あなたが知らないのは無理がないけれど──没落した家名の保護は一年間なのよ」

 一年間……?
 両親が亡くなった時のことを私はほぼ覚えていない。
 当時は日付の感覚がよくわかっていなかったので曖昧だが、知った今逆算すると……多分亡くなったのは2月の頭か1月の末だろう。この世界の葬式やら手続きが何日かかるかわからないが、遊園地の製作や室内プールが2週間という驚異の速さを考えれば、諸々の手続きは1週間もあれば終わるのではないだろうか。
 いや、書類などの手続きは時間がかかるのかもしれないし、少なくとも『レン・ヴィオク』は『紫の分家第一位』だ。本家に次ぐ権力保持家だろう。そうなると通常より面倒なことが多いのかもしれない。
 あくまでも予測の域を出ないので何とも言えないが、まあ大体1月末に亡くなったとしよう。私の誕生日は3月7週の3日だ。家名の保護が一年間として──私の5歳の誕生日を迎えるのに、約2ヶ月の期間が空いている。

 ……遅いとは、こういうことか。
 いやでも、私の誕生日を詐称すればいいのではないだろうか? 2ヶ月後とは言え、5歳になるのだ。それに祖母は私の正確な誕生日を知らないはず。これは私の動揺を誘う言葉ではないだろうか。
 そう思うと、少し冷静になれた。ここまで思考が回るのは“私”であるからであって、これが本当の4歳児であればこうはいかないだろう。……というか、4歳児に惑わすような言葉使うんじゃねえよ。確かに子供の方が騙しやすいけどさ。

「……両親が亡くなった時には私はもう4歳でした。なので何が遅いのかわからないのですが」
「あらぁ、本当に頭だけは回るのね。賢いところはオストに似たんでしょうけど、悪知恵が働くところはあの××似ね」

 前回も聞いた「恐らく母さんを貶めている言葉」に眉根が寄った。多分私が理解していないことを知った上で言っているのだろう。質が悪い。

「でもね、神殿では神の子の誕生日を全て記録しているから嘘はつけないのよ」
「……嘘ではありません」
「4歳なのに神殿に行って神託を受けようとすれば、本人だけじゃなくて保護者にも罰が下るわよ」

 その言葉が嘘でも真実でも、言葉に詰まってしまった。
 正直、私だけが罰せられるなら嘘をついて来年の1月の頭にでも行ってやろうと思っていたのだ。
 幸いにも“私”のお陰で、多少の年齢詐称で不利になることはほぼない。体力の面で多少不利になるかもしれないが、それも誤差の範囲だ。ほぼ丸々一年違う誕生日でも同級生と一纏めにされるのだから、たかが2ヶ月の差異など問題がない。
 しかし、保護者にも罰が下るのなら──今の私の保護者は伯父と伯母だ──その方法は、使えない。
 その罰がどういったものか、どの程度の罰なのかはわからないが、世話になっている伯父と伯母に恩を仇で返すような真似はしたくない。少なくとも今現時点で既に迷惑をかけているのだ。伯父や伯母は気にしていないと笑って、まるで本当の自分の子供のように接してくれているが──きっと私がここにお邪魔しなければ、祖母も来なかっただろう。……断言はできないけれど。
 それにしても、そもそもどうやって“私が存在していること”を祖母は知ったのだろうか。──この根本的なものも知らない時点で、私は祖母に負けている。

 無言でいる時間が長かったからか、祖母は心底面白そうににんまり笑ったあと、「やっぱり4歳になってなかったのね」と言った。

「……罰云々は嘘ですか」
「いいえ、本当よ。そもそも神を騙せるわけないじゃない。まあ騙そうっていう考えなど最初から持たないのが普通ですけれどね」

 ええどうせ私は普通じゃないですよ!
 どうしても日本人の感覚が残っているため、神という存在が遠く感じる。これがもし日本人じゃなくて──いや、日本人でも宗教を信じている立場であったのなら、こういう考えも持たなかったのだろうとは思うが。いやうん待てよ? 私は“私”の個人的なことは全部忘れているわけだから、もし“私”が熱烈な信者だったとしても意味がないのでは? 日本の一般的な常識と知識しか持っていない私がどうこう言える問題じゃなかった。神が信じられている国に生まれていればこうではなかったのだろうなぁ。

「順当に行けばレン・ヴィオクはこのまま没落。あなたは5歳の誕生日後にお披露目があったとしても、もうレン・ヴィオクは名乗れないわ。家名のない子になるか、ガル・ヴィオクに養子として入るかだけれど……ラハトは優しいから養子に入るように言ってくるでしょうね」
「……私は別に、家名などなくとも……」
「家名がなくなれば平民落ちよ。5歳になったらそのまま市街に放り出されるわ」

 えっ、5歳でホームレスですか? 厳しすぎません?
 ああでも平民になるのはいいかもしれない。“私”の常識がここの平民にどれだけ差異がないかは不明だが、別に平民として生きていくことにマイナスな感情は持っていない。祖母みたいな『完全な貴族』であれば、平民落ちは死ぬよりもなりたくない屈辱的な行為だろうが。
 別に平民になることはいいのだが……伯父や伯母は止めるだろうなぁ……、ガヴァルやガヴィーも止めてくるだろうし、そうなると養子になることになるだろう。
 それで男に成れば、跡継ぎ云々の問題についてもわからなくもないが、長男を差し置いて跡継ぎになる意味も、養子である私にそういう話が来る意味もわからない。
 つまり、私が知らない『跡継ぎに担ぎ上げられる要因』がまだ存在するのだ。長男を差し置き、いずれ男になるだろうガヴァルも差し置き、養子になるだろう私にある『立場をも顧みない強み』が。

「──あら、もうこんな時間? 長居しすぎたわね」
「えっ?」

 徐にそう言うと、その巨体を揺らし立ち上がる祖母を止める術を持たない私は戸惑うばかりだ。

「まだもう少し──」
「わたくしも暇じゃないのよ。またの機会にしましょう」

──暇じゃないならそもそもここに来なければいいのに。

 そう思ってしまったのは仕方のないことだろう。だってきっと、祖母が来なければこんな悩みもなかった。しかし、話を聞くとどちらにせよ時間の問題なところがあるから逆によかったのだろうか? 感謝はしないけど。
 祖母はそのまま扉へと向かい、使用人が開けるとそのまま部屋の外へと出る。そのまま玄関ホールへと続くため、帰るのは容易だろう。──家主に挨拶なくこのまま帰るつもりだろうか。
 玄関の扉が開き、外へ出ていく前にその歩を止めた祖母は私を振り返った。日の高さに昼近く、もしくは昼過ぎくらいになっていたことに気付いた。朝の唐突な訪問から考えると、思ったより時間が経っている。
 図々しい祖母のことだから、昼食も取ろうとするのではと思っていたがそうではないらしい。……まあ、そうなるとついてきた使用人たちの飯が大変なことになるか。そこらへんはちゃんと考えられてんのかな。

「じゃあ、また来るわ」
「……どうぞお元気で」
「ふふ、あなたはいずれ自らわたくしに会いたいと望むわ」
「……」

 ああ、そうなんだろうなと漠然と思う。
 本当に──心底癪だが、私を利用しようとする祖母の方が、私にとって有益な情報を与えてくれるだろう。伯父や伯母には感謝してもし足りないが、きっと私を守ろうと動いてくれて、私が知らない間に全てが終わっている気がする。私を守るために動いてくれるのはありがたいが──迷惑を、かけたくはないのだ。
 ……そうだ、どうして忘れていたのだろう。あの時伯父は、ヒントを出してくれていた。もしかしたらつい零れてしまっただけかもしれないけど。

「それでは御機嫌よう」

 祖母はそう言うと、そのまま出て行った。閉じられた扉越しに、大量に何かがすり歩くような音が聞こえる。この世界の移動手段を見たことが未だないが、何か乗り物があるのだろうか。魔法があるし空飛ぶ絨毯とか箒とかで移動してたら夢が広がるんだけど。
 と、不意に肩を叩かれた。振り向くと、タリアさんが心配そうな顔でこちらを伺っている。

「大丈夫ですか?」
「え?」
「え? あ、いえ……何度呼び掛けても何の反応もなかったので」

 ありゃ、どうやらぼーっとしてしまっていたらしい。
 なんだかんだで祖母の相手をするのは疲れてしまったようだ。自覚はなかったが、そう思うとちょっと身体が怠く感じた。

「ああ、うん……大丈夫。でも今日はもう休もうかな。タリアさんもこれからお昼でしょ? 部屋には一人で戻れるから、食べに行っていいよ」
「しかし……」
「お願い。ちゃんと戻るから」

 一人になりたいという私の願いに気付いたのか、タリアさんはそれ以上何も言うことはなくそっと礼をして下がっていった。

 なんだかいろんな情報で頭がパンクしそうだ。
 祖母が私を女にして王子と結婚させようと企んでいたのは想定内だ。しかし、男になればガル・ヴィオク家に迷惑がかかってしまう? レン・ヴィオク家はもう、潰えるしかない……?
 ああ、駄目だ。頭が痛い。
 私はそっと頭に手をやり、俯いた。
 ここに引き取られる時、伯父は言っていたはずだ。レン・ヴィオクのままで、大きくなったらこの家に戻ってもいいと。伯父の優しい嘘だったのだろうか? それとも没落した家名の保護が一年間というほうが嘘? 伯父に聞かなければいけない。話してくれるかどうかはわからないが、聞いて──聞いて、どうしよう?
 頭を押さえていた手を眼下に持ってくる。とても小さくて細い、頼りない白い手。剣術はしているが、それでもまだ子供の細い手だ。

 私は改めて、己の無力さに拳を握りしめた。




...19/06/02





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