第一章 まずは自己紹介から

05  日が短くなってきて、寒さが目立ってきた6月頭。日本でいうところの10月末ってところかな。
 今日も変わらず、私は勉強していた。タリアさんやラグーンさんが見兼ねて休憩を促してくるくらいには。って言っても、まだ飲食できないから休憩と言ってお茶飲んだりお菓子食べたりはできないんだけどね。
 あ、『お茶会』の勉強はしてるし、お茶やお菓子も出されたけど結局食べなかった。こういうタイミングで飲んで、お客様がこうこうこういう時に〜みたいな指導は受けたけど、食べるフリに飲むフリだ。あれらのお菓子はちゃんと誰かが消化してくれたことを祈る。
 今日は男子の勉強だ。動きやすい服に着替え、刃先の潰したナイフを手にとる。
 当たり前すぎて気付かなかったのだが、この世界どうやら魔法があるらしい。お風呂のお湯も、そこにある明かりも魔法によるものだと聞いて驚いた。蛇口捻ったらお湯が出るのが常識だったから、お風呂場で使用人さんが赤い球に触れるとお湯が出るのに何の疑問も抱いてなかったよ……改めて考えると、ガスとか電気とかないっぽいもんね……そっかぁ……。
 魔法を使うのは5歳になってかららしく、まだ教えてもらっていない。魔法を実用的に使いたいなら男が有利だが、女でも学園で習うのでどちらでも大丈夫らしい。
 肩につくくらいに伸びてしまった髪を適当にひとつに縛り、顔を動かして解けないか確かめる。タリアさんはもう少ししっかり整えたいと思っているようだが、ラグーンさんは己が邪魔でなければいいだろうという考えだ。私もどちらかというとそっちの方が近い。
 かと言って、着飾るのが嫌なわけではないのだ。ドレスは可愛いし、髪を綺麗に結うのだってテンションが上がる。まあ余り重いドレスは嫌だけど。
 そうして準備を終え庭に出向こうと部屋から出ると、玄関の方から誰かが言い争う声が聞こえた。

「……? どうしたんでしょう」
「行って見てきましょうか?」

 ラグーンさんが腰を折って問うてくるのを、私は首を振って断った。どうせ今から庭に行くのだ。先に見てもらったところで、行くのに変わりない。
 この家……屋敷……むしろ城に近いかもしれない。そのくらい無駄に広いこの家には、使われていない部屋が山のようにある。なんでも、パーティーでお呼びした方々が泊まる時用の部屋らしい。なんだその部屋……無駄じゃね? と思ってしまう私の感覚は至って普通だ。……普通なんだよね? だんだん自信がなくなってきた。
 そんな家の中の奥まったところにあるのが、私の部屋だ。なるべくお手数をかけないようにと目立たない部屋をもらったのだが、まあ当たり前のように広い。寝室だけで学校の教室か? ってくらいある。因みにこれでも狭いらしい。いやもうわかんねえよ。
 風呂場、寝室、衣装部屋、書斎兼遊び場。これまとめて私の部屋だ。部屋に風呂場まで付いてるとかどうなの? 寝室の奥の扉開けて脱衣所あって驚いたからね。そしてそれもまた無駄に広い。
 廊下に続く扉に繋がっているのが、本を読んだり勉強したりとよく居る部屋だ。そこが書斎兼遊び場として、もし人を招く時はここを使うらしい。
 これまた無駄に広く長い廊下を玄関に向かって延々と歩いていくと、流石に何を言っているのかわかるくらいになってきた。

「──はわかって──」
「だから──と言って──」
「……伯父さんと……誰でしょう」

 聞こえてきた声に首を傾げる。片方は伯父のようだが、もう一方の声に聞き覚えはない。
 すると、私の斜め後ろを歩いていたラグーンさんが突然私の前に出てきた。膝をついて、私の両肩をそっと掴む。

「レヴィーレ様、戻りましょう」
「え、しかし」
「玄関に出てはなりません」

 元は綺麗な紫色だったであろう白髪をゆるゆると揺らし、ラグーンさんは私の言葉を遮る。掴んだ両肩をくるりと、まるで魔法のようにして気付けば今まで来た廊下を見つめていた。

「今日の予定はとりやめて、淑女のお勉強を致しましょう」
「し、しかし師匠が庭に……」
「レオルド様にはわたくしからご報告させていただきます。どうぞこのままお戻りください」

 ぐいぐいと有無を言わさず背中を押され、爺とはいえ流石に大人の力に叶うはずもなく、そのままたたらを踏んでしまう。
 レオルド様というのは、剣の指導を引き受けてくれている人だ。ガヴァルが男にすると決めた時から指導はガヴァルを主体としているが、ちゃんとレベルを見て稽古してくれる強く優しい人だ。私とガヴァルは「師匠」と呼んでいる。
 突然のラグーンさんの行動に慌てつつも、もしかしたら伯父と言い合いをしている人と私が会うと不味いことになるのかと予想する。

──なら、言うとおりに戻るべきかもしれない──師匠には後で謝らないと。

 そうして大人しく来た道を戻ろうとした時、背後から大きな声がかかった。
「レヴィーレー!」

 うげっと反射で肩を竦めてしまったのは許して欲しい。いつ何時もポーカーフェイスを、と教えられているが、まだまだ子供なのだ。言い訳? 純粋な子供じゃないだろって? うるせえ。
 そろりと振り返ると、廊下の奥から使用人を置き去りにしてこちらに走ってくるガヴァルの姿があった。にこにこと手を振る姿はとても可愛いが、今はちょっと勘弁して欲しい。

「レヴィーレも今からいくのー!? ししょーもう待ってるかなー? いっしょにいこー!」
「ガヴァル、しーっ! しーっ!」

 口に指先を当て黙るようにジェスチャーをするが、全く伝わっていないらしく「何そのポーズ? なんか面白いね!」と真似している。
 いや可愛いよ? 可愛いけどね?
 そうこうしている内に、こちらの声に気付いたのか玄関の声が大きくなった。

「──えたわ! こちらね!?」
「──ださい、突然上がり込むなんて非常識だ!」
「──、お待ち下──!」

 バタバタと数人が走る音とそれを咎める使用人たちの声。どうやら此方に向かっているらしい。
 ガヴァルを見れば、その大声や物騒な物音に気付いたのかビクリと身体を竦ませ、笑っていたその顔が心細い表情へと変わる。遠目からでもガヴァルの目元に涙が光ったのが見えて、舌打ちしたい心持ちだった。
 そうこうしている内に、やっとガヴァル付きである使用人が追いついたようで、さっとその身を抱き抱える。そして目線を私に向けたのを見て、こくりと頷いてやった。

「レヴィーレ様、」
「いい」

 ラグーンさんが小声で窘めるのを遮り、再度ガヴァル付きの使用人に頷いてみせる。
 それに戸惑いを見せた使用人だったが、ラグーンさんにもちらりと目をやり、やっと頷いた。胸元で縮こまる怯えた子供に何か呟いたあと、近くの部屋へとその身を滑り込ませる。
 そうしてただっ広い廊下には私とラグーンさんだけが残されたが、声の主たちは正確にこちらに向かってきているようで、今いる人数に反し五月蝿いことこの上ない。

「レヴィーレ様……」
「いいんですラグーンさん。どなたかは知りませんが、どうやら無作法な方のようですし、目的はラグーンさんの行動から察するに、私、か……ガヴァルでしょう? ここに誰かがいない限りこの付近の部屋の扉を見つかるまで開けていたことでしょう。そうなると下手をすれば私もガヴァルも両方見つかります。その場にいたあなた達ももしかしたら咎められるかもしれません。なら、どちらかがこの場にいた方がいい。そしてこの場合、正確に今の状況を理解している私の方が適役だった。それだけです」

 初めてこんなに長文を喋ったかもしれない。数歩前に出て、ラグーンさんを振り仰ぎ微笑めば、しわくちゃでいつも笑っているように見える細目をこれでもかと開いていた。どうやら驚いているらしい。
 そして彼はそっと胸元に手をやり、深々と頭を下げた。

「レヴィーレ様のお望みどおりに」
「ありがとう、爺」

 わざと昔の呼び名と砕けた口調でそう言えば、嬉しそうに微笑んでくれた。4歳になってから始まった丁寧な口調で話すという勉強は男女ともに共通で、多少の語尾の違いはあれど目上の人に対しては丁寧に……日本でいう『丁寧語』を使うよう指導された。
 まあ元々そういう話し方になるように気をつけていた分もあって割と直ぐマスターしたのだが、どうやらラグーンさんはちょっと寂しかったらしい。(ラグーンさんは前の家での筆頭執事だったので敬語、タリアさんは私付きのメイドで私の方が立場が上なので砕けた口調が許されている)
 そうして少しだけほっこりと微笑みあっていると、バタバタという今まで聞いた事のない騒音とともに、問題の方と伯父さん、数人の使用人がこの場にやってきた。
 そうしてやってきた人は──紫色の髪(不自然な濃さ……染めてる?)と同色の瞳を持った、伯父さんよりも年上のおばさ……お婆さん? だった。なんか随分若作りをしていて、見ててイタい。まあ自分の好きな服を自分が着たい時に着ればいいと思うけど、流石にショッキングピンクはないんじゃないかな。しかも光沢のある生地を使っているようで、動く度にキラキラと目を刺激してくる。
 思わず顔を顰める。落ち着いた若草色とかどうですか。目にも優しいしおススメだよ。髪と同系統がいいなら、紺とか藍色とかそっちもいいんじゃないかな。
 どんだけ重ねているんだろう厚手のファンデーション(この世界にも日本に似た化粧品はあるが、質はこちらの方が悪いみたい)に、真っ赤な口紅。目元は真っ黒で少しでも目を大きく見せようとする女心が見える。う〜ん、皺を隠したいんだろうけど……隠さない方が目立たない気がする……。
 あと顔をどうこうするより体型をどうこうした方がいいんじゃないかな……細すぎは駄目だとは思うけど、流石に太り過ぎじゃない? 横が普通の人間の二倍はあるよ? 健康が心配。
 そう私が考えていることなど露知らず、そんな化けも……ゔぅんっ……お婆さんは、私を見て「あらあらまあまあ!」と今まで聞こえてきた声のトーンより数トーン高い声をあげた。

「あなた、もしかしてレヴィーレちゃん!? 今いくつになるの!?」
「……はじめまして、おはようございます」

 どう返していいかわからなかった為、とりあえず無難に微笑んでおく。因みにさっきの意訳は『はじめて会うし自己紹介もしていないにも関わらず名前を呼び、しかも重ねて別の質問をするとはどんな神経をしているのですか? しかもこんな朝早くから訪ねてきて、貴女には常識というものが備わっていないのでは?』だ。この嫌味が通じないのであれば、その程度の人間だというもの。
 私の言葉を聞いて、「あら」と少し嫌そうな表情をしたお婆さんを見て、ああ嫌味は通じたのかと少しだけほっとする。でも感情を顔に出すとは、わざとなのか隠せない馬鹿なのか判断しかねるところだ。

「なぁに、可愛げのない子ね。誰に似たのかしら。ああ、あの××に似たのかもしれないわね。なら仕方ないわ。可哀想な子」
「……?」
「母上っ!!」

 前後の言葉でなんとなく馬鹿にされたのはわかったが聞いた事のない単語に眉根を寄せていると、追ってきたのであろう伯父さんが紳士ギリギリ許容範囲内の競歩で姿を表した。
 急いでいても紳士であることを忘れない伯父さんカッコいい! 見習いたいです! 目指せ伯父さんみたいな紳士! ……ん? 今伯父さんなんて言った? 母上……?

「もういない方を貶めるのはおやめください!」
「あらラハト。貶めてなんかいないわ、事実だもの」
「だからそれが……っ!」
「あの、伯父さん」

 ぶるぶると両拳を握りしめ、今にも殴りかからんとする伯父さんの意識をなんとかこちらに持ってこさせようと声をかける。
 射殺すような視線をお婆さんに向けていた伯父さんは、私に目をやるとふっと目元を綻ばせた。

「この方は……」
「……ああ……」

 初対面の人会う時は、基本はその橋渡し役となる人物が互いを紹介し合うのがマナーだ。要は、AとCを引き合せる時は、AとC両方の知り合いであるBがその場を調節し、AにはCを、CにはAを紹介してやっと知り合いになるのだ。そこから仲を深めるかはそれぞれによるが、片方が一方的に知っていても紹介されるまでは声をかけてはいけないルールがある。
 にも関わらず、このお婆さんは私に声をかけ、名前を呼び、質問をしてきた。あえてルールを無視をしたのか、ルールを知らなかったのかわからないが──ともかく、第一印象は既に最悪と言えよう。
 もちろんこのルールには抜け道もあるのだが、今は割愛しておこう。

「……レヴィーレ、君は初めて会うかもしれないね。この人はガル・ヴィオク=アザベル=ウィオスラクト。私の母上……そして、君の祖母だ」
「ウィオスラクト……?」
「まあ! やっぱりあなたがレヴィーレちゃんなのね! まああ……この髪の色。きっとオストに似たのね!」

 そう言ってお婆さん……祖母は私の両手を無理やり掴み、こちらを見るように引っ張ってきた。よろめく身体にラグーンさんが身動ぎするがそれを目で制し、こちらへの紹介がまだなのにも関わらず手を掴むという行動にどうすべきかと伯父を仰いだ。
 伯父さんは苦虫を噛み潰したような表情で掴まれていた私の手をそっと剥がすと、嫌そうに──本当に嫌そうに、私を祖母に紹介した。

「……母上、この子はレン・ヴィオク=レン。貴女の二番目の息子の……レン・ヴィオク=オストの子供だ」




...19/05/22





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