ニーナ王国

とある男の話①

 いくつもの角を曲がって、帰り道はもうわからなくなってしまった。それでも先を行く男は足を止めてくれないため、必死に足を動かす。
 そうして何度角を曲がっただろう。月明かりのない夜のため方角もわからず、下手をすれば迷子になってしまうが──アクアリアムが広いことは知っていたが、まさかこんなに広く知らない場所があるとは思ってもみなかった──そう考えていると、先を行く男の足が止まった。

「……ここが…………?」

 思わず出た言葉に男は何の反応も返さず、民家にしか見えない普通の家の扉を無造作に開けた。そのまま入っていく姿に慌ててあとを追う。

「──────……」

 男のあとを追って入ったそこは、夜の暗闇をもっと煮詰めたような暗さだった。月明かりがなくとも、柔く灯っていた魔灯があった外の方が明るかった程だ。
 余りの暗さに、入って直ぐのところで立ち往生していると、不意に後ろの扉が閉まる。と、同時に少しの風と気配が動いたので、恐らく道案内の男が閉めたのだろう。……と、予測はできたが驚きとほんの少しの恐怖は止められなかった。
 男が何かを呟く。ボソボソと呟かれたそれは自分の直ぐ左から聞こえてきたが、不明瞭で聞き取れなかった。
 ──瞬間、目が焼ける。

「ぅ、ぐ……っ!?」

 目が焼けた──あまりの眩しさにそう思ってしまったのも仕方の無い話だろう。
 光に目が眩んで、前が見えない。手で目元を覆い、目を瞑った。それでもいきなりの光源へのダメージは深刻なようで、ちかちかと瞼の裏で点灯する。
 そんな、悶えているところに軽やかな声がかけられた。

「──こんばんは」

 案内人の男の声にしては高く、声変わり前の少年のような、少女のような、女のような声だった。まるで鈴でも鳴らすかのようにクスクスと笑いながら、声は続ける。

「貴方が依頼人の方ですね」
「……あなた、は……」
「裏占い師。ミシェルとお呼びください」

 ゆっくりと手を降ろす。まだちかちかと瞼が痙攣したが、最初の頃のような痛みは引いていた。眉根が寄っている自覚はあるが、流石にそれを解けるほどに回復はしていない。
 明るくなって初めてわかった部屋の全貌は、色とりどりの布だらけの広い部屋だった。何十メリトにもなるだろう長い布が幾度となく天井からドレープを描き、床へと垂れ下がっている。ペラリとした薄い布ではなくどれもが厚みのあるしっかりとした布で、金の刺繍が施されているそれは1メリト何ミルになるのだろうかと見当違いの疑問を持ってしまった。
 床には大きな赤い絨毯が敷かれており、そこにも金の刺繍が施されている。金銀財宝を飾っているわけでもなく、どこもかしこも布だらけなだけの部屋だが──どんなに豪華な部屋よりも、確実に豪華だった。
 入ってきた扉の正反対に位置する──目の前に広がる──そこには、薄い黒い布が天井から部屋を断つかの如く、左右の壁まで続いていた。まるで部屋の中にカーテンを閉めているかのようだ。
 その薄い布の向こうには人が数人いるらしく、部屋がまだ続いているという実感を持たせる。この布を取っ払うとどのくらいの広さになるのだろうかと、また意味の無い疑問を抱いた。
 その向こう側の──黒い布と、向こうは明かりを消しているようでよくは見えないが──正面中心にある椅子に、人が座っていた。その人物はたっぷりとした布を使った服を纏っているようで、男なのか女なのか、子供なのか老人なのか姿かたちがわからないようになっている。
 その人物が恐らく、目的である裏占い師なのだろう。
 ミシェルと名乗ったが──『お呼びください』という言葉から、それは多分偽名だろう。男でも女でもとれるその呼び名は、性別のわからないソレにはピッタリの名前だった。
 うろ覚えの臣下の礼をとり、その場に跪く。深く頭を垂れると、「頭を上げてください」と声が届いた。

「本日は何を占いに来られましたか?」

 シャラリと、薄膜の向こうのミシェルが首を傾げると涼やかな音がした。頭になにか飾りでも着けているのだろうか。となれば女性か?
 何を占いに来たのか──その問いに、これから返そうとする言葉を思って唇を湿らせる。もしかしたら礼儀がないと追い出されるかもしれない。しかし此方も必死なのだ。これで占いの結果が散々であれば、これの為に支払った金額を考えると死んだ方がマシだった。

「……その問いは、聞かずとも占えばわかるのでは?」
「貴様!!」
「いい」

 薄膜の向こう、壁沿いに立っていた数人が腰に手をやり此方に駆け出そうとするのを、ミシェルがサッと挙げた手でそれを止めた。
 思ったとおりの緊迫した状況に冷や汗が流れるものの、これも計算の内だと口に溜まった唾液を飲み込む。

「……ふふ、確かに。そうですね、貴方がここに来た理由を私はもう知っております。どうやって私にまで辿り着いたのかも」
「……なら、どうして」
「『ここまでが予定調和だったから』、と言えばよろしいですか?」

 果たして『占い』でそこまでわかるのだろうか? それとも『“裏”占い』だからこそ、なのだろうか? しかし一体、このミシェルは『何』を占ったのだろうか。
 いろいろな疑問が浮かぶも、それを口にするのは躊躇われた。きっとこの疑問も、それを問わないことも、ミシェルにはお見通しなのだろう。何の根拠もないが、何故かそう思った。
 それに、問い掛けは一度きりという約束だ。先程の問い──今思えば二度既に問うているが、これ以上問いを重ねれば追い出されるだろう。後ろに立つ案内役の男の視線が冷え冷えと背中に突き刺さっているのを感じ、姿勢を正す。

「……私は、どうすればいいでしょうか」
「そうですね。その答えは……貴方がどうしたいかによります」
「……私がどうしたいか……?」
「はい。好転を望みますか? それとも悪化を?」
「なっ!? 好転に決まってるじゃないですか!」

 思わずその場から立ち上がろうと腰を浮かせた──途端、ギシリと身体が動かなくなった。
 自分に何が起こったのかわからず慌てるものの、身体は中途半端な形から動かない。開いたままの口からは驚きの声が出るものの、言葉にはならなかった。

「落ち着いてください。いいですか? 大丈夫でしたら瞬きを二回、ゆっくり行ってください」
「…………」
「カラス、いいよ」

 その言葉と共に、どさりと身体が落ちる。周囲を見回し、一体自分に何が起こったのか確認したい気持ちはあったが、それ以上に『これ以上の失態を重ねれば命が危ない』という思いが脳を占めたからだ。
 身体の震えが止まらない。命の危機は今までなかったわけでは無かったが、ここまでひしひしと感じるものではなかった。自分の甘さに唇を噛み締める。

「なるほど、好転を……。今貴方が直面している問題に対して解決できる何かを欲しているのですね」
「……はい……」
「ああ、恐がらせてしまいましたか? すみません、少しばかり好戦的な者が多くて。気になされなくて大丈夫ですよ。普通にしていれば、彼らは何もしませんから」

 逆に言えば、何か不信な行動を取ればその命はないということだ。ミシェルにそんな気持ちがなくとも、恐らく警備についている者は躊躇わずに殺すだろう。
 最早、薄膜越しのミシェルの様子を伺う余裕もない。
 視線を手元に落とし、震える身体をなんとか跪いた形を維持させる。ぽたりと、冷や汗が赤い絨毯に落ちた。

「そうですね……では、明後日。月のない猫の刻。クラムの峠に、誰にもバレないよう一人で向かいなさい。大きな袋を一つ持ち、早馬を一頭。それできっと、上手くいくでしょう」
「……ありがとう、ございます」

 凛とした声が響く。それは啓示のように、心の中に浸透した。
 ゆっくりと頭を垂れ、そっと身体を起こし立ち上がる。今度は何の侵害もなく立てた。先程のは一体何だったのだろうか。

「この度はお時間いただき、ありがとうございました」
「いいえ。いい結果になるといいですね」

 朗らかなその声は、最初の時となんら変わりない。こちらの心情だけが変化したここから、早く出ないとどうにかなってしまいそうだった。
 外への扉を開く瞬間、部屋を満たしていた光が消える。暗闇に包まれ慌てるも、開かれた扉の向こうからほんのりと指す月明かりにほっと息をついた。中にいる間に、月が出てきていたらしい。
 そうしてまた何度も曲がり角を曲がって──ここまでの道を覚えられないようにか、行きと違う道を歩んでいるようで全く見覚えがない道を通り──ようやく見慣れた道に出たと思えば、道案内の男はいつの間にか消えていた。
 男に賄賂を渡しそびれたが、まあ大丈夫かと空を見上げた。
 明後日、猫の刻、クラムの峠、大きな袋。
 一体そこで何が起こるのかはわからないが、きっと事態は好転する。そう断言出来る。
 男──大商人・ガリム=ダヴィンは、薄ぼんやりと光る月を見上げ、にやりと笑みを浮かべた。




...19/04/17





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