第二章 とりあえず握手でもどうかな

2 「とりあえず、その××……あーっと、懇切? 丁寧な口調をなんとかしないと」
「口調……ですか」
「練習あるのみだけど、とりあえず僕の真似をすればいいと思うよ」

 今日は二回目の街探索日です。
 週末の5日は、まだ子供であるため休日として過ごしていいと大目に見られています。とはいえ、抜け出しているとは露ほど思っていないでしょうが……。
 一回目のお忍びは──いろいろあって戻る時間が遅くなってしまったのを怒られてしまったものの──なんとか気付かれずに戻ることに成功しました。これも、影武者をしてくれたアスのお陰です。……お土産を買う時間もなく、アスには謝るしかありませんでしたが。

「わかりました」
「違う、『わかった』」
「わか……った?」
「『わかった』」
「わかった」
「そう。そのくらいの発音だと、いい感じに聞こえる」
「わかりまし……わかった」
「そうそう」

 二回目である次週の5日の今日、私はアレクと約束をし待ち合わせすることになりました。アスがまた今日も身代わりとして影武者になってくれています──今日は何かお土産を買って帰らないといけませんね。
 来週も来ると言ったところ、『えっ!? また来××!? うへぇ、お貴族様のお世話係とか……××××××ことに……いやでもここで見放して、捕まりでもしたら寝覚めが悪いしな……』と、“快く”今後の案内を引き受けてくれました。

「じゃあ今日は言葉の練習しつつ、見て回りたいところ回ろうか。耳も慣れていかないとね」
「そうですね、お願いします」
「『そうだね、お願いするよ』」
「……そう、だね? お願い……」
「『するよ』」
「するよ」
「うん、続けて」
「……そうだね、……お願いするよ?」
「××××、任せて!」

 待ち合わせ場所の小さな噴水に行けば、既にアレクが待っていました。こちらに駆け寄り、『よかった! 無事辿り着いたんだね!』と快活に笑った彼はばんばんと優しくない力で私の背中を叩きます。
 出会って二日目だというのに、今までにない距離感で接してくるアレクに、私は少し嬉しくなりました。……背中は痛かったけれど。

「僕の今の発音は聞き取れるんだよね? なんで話せないの?」
「うーん……聞き取れはしますが、発音はしたことなかったので……」
「ふーん。ってことは日常的にそんな丁寧な口調なの?」
「そうで……そうだね」
「うへぇ、凄いね」

 そうして再び私はアレクの家にやってきました。虫小屋の大きさしかないそこはやはり、アレクの家だったようです。
 狭いながらも掃除が行き届いており、必要なものはひと通り揃っているそう。こんなに狭くとも必要なものが揃っているとは、なかなか凄いと思います。

 そして今、私はアレクの家で話しているわけなのですが──……。

「よし! とりあえずこれな!」
「はあ……」

 じゃーん! とアレクが両手で掲げたのは、草臥れた服でした。そうです。彼は私に着替えろと言っているのです。

「いくら街に降りても違和感がない服って言っても、どっかの金持ちに見えるからね。今日は僕と歩くし、なるべく見た目だけでもここの“普通”になってくれないと」

 アスから借りたこの服は、アスも街に降りる時に使ったと言っていたのでおかしくはない筈ですが──アレクにとっては『お綺麗すぎる』そうです。
 仕方ないと私は立ち上がりました。

「……」

 ゴソゴソ。

「……」

 ゴソゴソ。

「…………初めて着替えに挑戦する3歳児みたいだ……」
「えっ?」
「イエ、ナンデモ」

 やっと着替えを終え、達成感でほっと息をついていると、私の着替えを眺めていたアレクが呆れたような目でこちらを見ていました。
 アスから、市井の人は着替えを自分一人ですると聞いています。なので、私が着替えに悪戦苦闘するのに違和感しかなかったのでしょう。遅い自覚はあります。なんせまだ二回目なので、慣れていないのです。

「すみません、お待たせしました」
「『ごめん、待たせた』」
「……ごめん、待たせた?」
「そうそう。いいよー、慣れてないんでしょ、一人で着替えるの」
「そう、だね。普段は使用人に任せているから」
「まあでも、ここの服は一人で着られるように出来てるし、一人で着られないとこっそり出て来れないから、練習あるのみだね」
「そうだね」

 私は自分の身体を見下ろします。普段着ているという綿の白い長袖に、深緑のベスト。紺のゆったりしたズボンは動きやすく身軽で、私は少し楽しくなりました。
 私が脱いだアスの服はと視線を巡らせると、いつの間にかアレクが既に畳んでいて、そっとベッドの上に置かれているところでした。

「あ、ありがとうございます」
「ん、いーのいーの。なるべく汚さないようにここに置いて置くけど、それでも汚れるかも知れないからごめんね」
「ああ、いえ。そこは大丈夫です」

 元々汚れてもいい服をとアスに借りましたし、私も気にしません。むしろ、アレクの服を借りてしまって申し訳ない気持ちでいっぱいです。

「今日は……そうだな、話す練習しながら、見て回って……ここで使える服とか靴とかを買うか。ルドお金持ってきてる?」
「あ、はい」

 その言葉に、慌てて元々着ていた服のズボンのポケットを指します。その合図が何を意味するのかわかったのでしょう、アレクは指した先にあるポケットに手を入れました。

「ここ?」
「そうです」
「──って、何これ?」

 そうして取り出された硬貨を、アレクは不思議そうに見つめます。
 実は私は、お金を持っていません。この硬貨もアスから借りたもので、その価値もよくわからないまま持ってきたのです。
 私から従兄弟へのありがたーいお小遣いだ、と言っていたアスは返す必要はないと続けていたので、この硬貨は私のお金になるのかもしれませんが。

「うーん、見たことないなぁ。これ幾らになるの?」
「ええと……すみません、実は硬貨を見たのもここに来た時が初めてでして……」
「あ、そっか。金と物の現物のやり取りを見なくてもいいんだよね。むしろ金っていう概念も最近まで知らなかったか」
「恥ずかしながら……」

 紫水晶のように輝くその硬貨は、私もアレクもその価値がわからないため使えません。アスが用意したものですから、偽物などではないとは思うのですが。

「うーん、とりあえず今日は僕のお金で払うよ」
「えっ、しかし」
「だってこれ本当に使えるかわからないし、もし使えたとしても価値がわからないんだから何買えるかすらわからないだろ?」
「店主に聞けば……」
「もしそれで××××られたらどうするの?」
「えっと……なんと言いました?」
「あ、わからないか。えーと……なんだろ……本当は物凄くこの硬貨の価値が高いのに、布切れ一枚しか買えませんって嘘つかれるかもしれないってこと」
「そ、それは犯罪です!」

 思わず声を荒らげると、「ここでは騙されるほうが悪いんだよ」と至極普通な顔で言われました。
 サリクタの何番目の分家かわかりませんが、どうやらここを治める領家は“治めている”とはいえない治世を強いてるようです。本格的に調べる必要がありそうですね。
 私がまた考えに集中していると、「というかね」とどこか呆れたような声がかかりました。

「そんな気軽にお金がある場所を示して、その上それを他人に取ってもらうなんてしちゃ駄目だよ。盗られたらどうするの?」
「アレクはそんなことしないでしょう?」
「……そういうところが心配なんだよ」
「勿論、私だって気軽に人に任せたりしません。先程はアレクでしたから頼んだのです」
「……顔合わせたの二回目だけど?」
「そうだね」
「……××××来たその信頼……」

 まあ確かに盗みなどしないけど、と言ってため息をつくアレクに、私は首を傾げます。どうして疲れているのでしょう?

 その後直ぐ気を取り直したアレクに急かされるまま、街を探索することになりました。私が持ってきたお金は結局使わず、アレクが出すようです。何から何までお世話になっていて、少し申し訳なく感じます。
 持ち歩くよりは家に置いておいたほうが安心とのことで、私のお金はアレクの家に置いておくことになりました。なんでも『スリ』と言って、人とぶつかった時にお金を盗っていく人がいるらしいのです。ここの治安は、本当にどうなっているのでしょうか。

 ざわざわと賑わう『大通り』に着きました。先週も驚きましたが、こんなに人がこんな所に集まっているなんて慣れません。先週は方々に歩く人たちを上手く避けられず、ぶつかったりよろめいたりしていましたが、今日は違いました。

「ルド、離さないでね」
「はい」
「『うん』だよ」
「うん」
「よし」

 アレクの左手で私の右手を取られ、先導してくれるアレクのお陰で行き交う人たちとぶつからずに済みます。するすると抜けていくアレクに、私は尊敬の眼差しを向けました。

「凄い……魔法みたいですね! って、まさか魔法を使っているのですか?」
「いや、魔法使わなくてもここに住んでれば当たり前にできるよ」
「凄い……!」
「だから凄くないんだって……」

 目の前でゆらゆらと艶やかな髪が揺れるのを見つめながら、私は一生懸命足を動かしました。訓練で走ってはいるものの、普段はゆっくり歩くように教えられているので、『走る』と『歩く』の中間のような足さばきはなかなか難しいのです。
 そうしてついていく内に、私も余裕が出てきたのか周囲を見回せるようになりました。
 初めて来た先週にも軽く探索しましたが、アレクの家で目が覚めて、落ち着いてきた頃に時間を尋ねると、もうこの街を出なければいけない時間になっており慌てて帰ったのです。アレクと会う前に一人で彷徨いていた短い時間だけが唯一の探索時間といえるでしょう。
 勿論、一人で探索しておりましたし、土地勘もなく、何か賑わう通りがありますねと向かえば、そこは聞いた事のある市場で。物珍しく歩いておりましたら、大人に追いかけられたわけですから──今日がほぼ初めてと言ってもいいでしょう。

「こんなことなら初めから誰かに案内を頼むのでしたね」
「え? この街に知り合いいるの?」
「うーん、いると言いますかいないと言いますか……」
「何その微妙な……ってああ、親同士が知り合いとか? その繋がりで助けてもらおうと?」
「まあ……うん、そうだね」

 知り合いと言ってもいいのかわかりませんが、家名を持つ者は認識しております。顔を直接見たことはありませんが、特徴と家名さえ踏まえておれば大丈夫です。
 サリクタの何処の分家が管理しているのかはわかりませんが、分家は分家です。ガル・ワガンダの頼み──向こうからすると命令かもしれませんが──を断れるなど、有り得ません。

「でもそうすると貴族ってバレるんじゃ? これってお忍びじゃないんだっけ」
「……あ」
「忘れてたな」

 そうでした。家名を出して“お願い”をすれば確実に叶えてくれるでしょうが、それと同時に大事になるでしょう。
 そこまで考えが及ばなかったことに、心の中で反省しました。まだまだ私は一人前には程遠いようです。

「ま、今後もあなたが望むなら案内くらいはするからさ。むしろ、よく先週は僕があなたを見つけるまで無事だったなと思ったくらいだよ」
「あの時は私も一生懸命でしたから……」
「いや、例え大人に見つからずに逃げ仰せたとしても、帰り道わかった?」
「……あ」
「僕と会ってなかったら大変なことになってたね」

 こちらを振り返って、アレクは呆れたように笑いました。
 それに“私の常識”だとこれでも普通のことですのにと少々悔しく感じます。私の常識がここでは通じないことはわかっていますが、やはり同じ歳であるアレクに言い負けると、アスとは違った悔しさがあります。
 アスは年上だからという言い訳ができますが、アレクにはそれができません。……これでも、同年の中では一番優れているとの評価をいただいているのですが。

 と、目的の場所に着いたのでしょうか。手を引いていたアレクが急に立ち止まったので、その背にぶつかってしまいました。また考え事に集中していたせいか、俯いていたようです。
 慌てて謝る私を不思議そうに眺めたアレクはきっと、私の劣等感など露ほど気付いていないのでしょう。

「よっし、着いた! とりあえずここで服買おうか。一着でも持ってれば充分でしょ」
「うん」

 目の前の建物を見上げます。ここが衣装保管庫なのでしょうか? それにしては小さ……いえ、これが普通なのですか。
 ……あれ? しかしアレクは今買うと言いましたよね? ということはここはアレクの衣装部屋ではなく……、

「こんにちは〜」
「あら、アレク×××じゃない! いらっしゃい!」

 中に入ると、外で見たよりも狭く感じました。それも左右の壁にズラリと並べられた衣服のせいでしょう。なるほど、こうして肩の部分に木枠を通して吊り下げれば、少ない面積でも沢山の衣服を保管できますね。なんて効率的なのでしょうか。

「そっちの子は? お友達?」
「うん! こいつの服買いにきたんだ」
「あらそう。ゆっくり選んでね」

 なんと、ここはお店のようです。
 衣服の業主でしょうか、長細い机の向こうから親しみのある笑みをこちらに向けながら手をひらひらと振ります。私は慌てて胸に右手拳を当てました。

「さ、選ぼうか。どれが良いかな〜」

 私が業主に気をとられている間に、アレクは壁に並んでいる服を選んでいるようでした。近付くと、一着取り出し私の前にかざします。

「うーん、どうやってもルドの高貴さは隠せそうにないから、どう頑張っても『お忍びで遊びに来ました』感が出ちゃうなぁ」
「本当ですか」
「うん。まあ仕方ないね」
「『慣れ』しかないですか」
「『慣れ』しかないね」

 そう言ってにやりと笑うアレクに、楽しくなって私も笑い返しました。同じ笑みになっていればいいな、と思いながら。

「ルドの髪は綺麗なワガンダだから、どんな色でも似合うね」

 アレクはとても楽しそうに、服を選んでは私の前にかざし、選んではかざしを繰り返します。

「そう……でしょうか」
「? うん」

 私はそっと、頭に手をやりました。
 父によく似たこの髪は、会う人会う人皆に褒められます。

『まるで──のようではないですか』
『これで──も──ですね』
『なんと──な御髪だろうか。素晴らしい』

 昔から続くこの声に、初めは純粋に受け止め喜んでおりました。それがいつから、素直に受け止められなくなったのでしょうか。
 確かに私は、父上に似ております。母上であるブァルムの血ではなく、ワガンダの血が強く出たのはきっと良い事なのでしょう。両親も周囲も喜んでおりますし、私も父上の後を継ぐと決めたのですし。
 しかし、その言葉を言われる度に、何故か胸の奥が痛くなるのです。

 もしも。
 もしも、私が。


──母上と同じ髪色だったなら──……


「とても綺麗だ」

 不意に聞こえたその声と、手を包む温かさに顔を上げます。
 いつも間にか服を戻していたアレクは、髪に触れていた私の手をそっと取り両手で握っていました。

「あなたのその髪は、まるで全てを包み込む夜空のようで、光に艷めくその煌めきは夜空に輝く星のようだ。黒水晶のような大きな瞳も、あなたの感情で七色に光る。それに、」

 そして彼は──アレクは、とても。とても柔らかく微笑んで。



「──例え君がどんな髪色だったとしても、私は君が好きだよ」



 ──そう言った。



「アレク×××ったら、また口説いてるの? 懲りないわねぇ」
「えっ?」

 止まった空気が、不意にかけられる声で再び動き始めます。その後、アレクと業主が何やらやり取りをしていたようですが、私の脳内は先程のアレクの言葉を何度も繰り返されていました。

──例えどんな髪色でも。

 それは、その言葉は、ゆっくりと私の中に溶け込んでいきます。
 父上に似たこの髪は私の誇りです。
 ですが同時に、とても嫌だったのです。

 なぜだかとても泣きたくなって、でも泣きたくなくて。
 まだ業主とやり取りをしているアレクに掴まれたままの手を解き、逆にその手を握りしめました。

「ルド?」
「……っ」

 アレクの柔らかな声がかけられると同時に、胸の奥から何かが急に込み上げてきます。熱くなる目元を見られたくなくて、私は目の前の肩に頭を押し付けました。
 これを人に見られていたならば、きっと私は叱られてしまうでしょう。

 でも今、私は『貴族のジェラルド』ではない。
 ここにいるのは、『ただのルド』です。

「……っありが、とう」

 込み上げるものを抑えられず、声は震えてしまいました。
 しかしアレクはそれを咎めるわけでもなく、笑うわけでもなく。微かに動いたと思えば、そっと私の頭に何かが触れました。──いえ、これは“撫でて”いるのでしたね。

「礼を言うのはまだ早いでしょ? 探索はまだ始まってもいないよ」
「……っ、うん……っ」

 私が泣いてしまっていることにも気付いているでしょうに、アレクは何でもないように静かに私の頭を撫でています。

「ほらぁ、口説いてるわよ」
「だから口説いてないって!」
「この前もシンシアとラティに甘いこと言ってたじゃない。お姉さん聞いちゃったんだからね」
「甘いことって……僕は別に本心を言っただけで」
「タチ悪いわぁアレク×××、男の子も女の子も見境ないんだから」
「なんか凄い酷い×みたいじゃん!? やめてよ、ルドが引いちゃうだろ! 折角友達になったのに!」
「友達ねえ」

 そう思ってるのはアレク×××だけだと思うわよ、と続ける業主に酷い!、と返すアレクは恐らく言葉通りに捉えているのでしょう。
 アレクみたいな人を……なんと言うのでしたっけ。侍女たちが噂していたのを聞いたとは思うのですが……。

「……なんぱ……?」
「えっ」
「あら、そうよ坊ちゃん。アレク×××みたいな子がすることをナンパって言うのよ」
「なっ! 違うよ! ナンパなんてしてないって!」
「そうなんですね……」
「ちょっルド!」
「しかも性別関係なく口説くもんだから、この辺りに住む子みーんなアレク×××のことが好きなのよ」
「ははぁ……」
「ルードー!?」

 ナンパなんてしてないから! 誤解だから! と言いながら、アレクは私の両肩を掴んで前後に揺らします。
 いつの間にか涙は止まっていて、私は笑っていました。
 必死に言い募るアレクが面白くて、おかしくて。

 ああ、この子と出会えて良かったと、心から思ったのです。





「コツはねぇ、全体的に語尾の発音を抜くことかな」
「音を抜く……」
「ルドの話し方って丸っきりお手本みたいだからね。ヴィオクの方とかだと浮かないと思うけど、ラミラとか……ブァルムの方だと確実に浮くと思うよ」
「ブァルムの方でもですか?」
「あっち訛りが凄いらしいから」

 服を買って、今はアレクと一緒に話し方の練習をしている所です。
 本日待ち合わせ場所だった小さな噴水に腰掛け、出店(というらしいです)で買ってきた果実水を飲みながら、アレクにここでの話し方を習っています。

 ブァルムは、母上の生まれ育った場所です。
 母上と話す機会はそれこそ年に三回なのであまり話していませんが、それでも訛りはなかったように思います。

「あの……ブァルムの方とお話したことがあるのですが、訛りはなかったように思うのですが……」
「え? そりゃあそうでしょ。ルドと話すってことはお貴族様でしょ? ってことは幾ら訛りが凄い地域でも綺麗に話せるでしょ」
「なるほど……」

 確かにそうです。
 幼い頃から話し方も勉強するのが貴族。訛りが強くとも、きっと街には下りないでしょうから──その地域の訛りが強くても、貴族には関係ないことでしょうね。いえ、もしかしたら訛りが強いことも気付いてないのかもしれません。私のようにお忍びで下りる貴族は知っていると思いますが。

「よし、じゃあなんか喋ってみて」
「え?」
「僕の発音の真似をすればいいんだよ」
「発音の真似……こう、かな?」
「お、そうそう! 今までだと『こうですか?』って発音してたでしょ? そんな感じで音を抜くんだ」
「ああ……なんとなくわかった気がする」
「上手い上手い!」

 まるで自分の事のように喜んでくれるアレクに、自然と笑みがこぼれます。同い年の筈なのに、アレクは年上のようというか……アスと一緒にいるような心地になります。

「何処か行ってみたい場所ある?」
「うーん、そうだね。と言っても、何が何処にあるのかサッパリわからないんだけど」
「ああ、えっとねぇ」

 果実水を飲みながら、アレクは指をさしながら何があるのかを教えてくれます。私はそれに頷きながら、生ぬるい果実水を飲みました。
 季節はそろそろ、春が終わる頃です。
 冷えた飲み物が恋しくなってきましたが、氷はここでは貴重でしょう。貴族でしたら金を出して持って来させるか作らせるかしそうですが、市井の人たちは冬の間に凍ったものをなるべく寒い地下に置いて、少しずつ削って使っているのだとか。

 市井の人たちは魔法が使えません。
 それは私の隣に座っているアレクにも言えることです。
 彼の真っ白な──雪のように輝き透き通る髪を眺めながら、私は彼が魔法を使えたら、どんなに良いことだっただろうと考えました。

「──とまあ、こんな感じだけど。どこか興味が引かれた所はあった?」
「あ、ごめん。聞いてませんでした」
「おい××」
「アレクに任せるよ。きっと何処に行っても驚くだろうから」

 そう言えば、どこか困ったように笑って「どうしようかなぁ」と辺りを見回すアレク。
 出会って二日目なのにこんなにも心地良いのは、どことなくアスと似ているからでしょう。……アスに言えば、怒られそうというか……実際怒られましたが。

「よっし、じゃあ皆が居る広場にでも行くか!」
「皆?」
「僕の友達」

 ああ、『アレクが友達だと思っている子たち』ですね。
 全員が全員、アレクに恋をしているわけではないでしょうが、先程の衣服の業主が言ったように『アレクに恋する子』も居るのでしょう。ナンパなもの言いは無自覚のようですが──将来、大変なことにならないよう祈るばかりです。
 そしてアレクが立ち上がり、私の飲み切ったグラスを取って出店の方へと向かって行きました。

「────ジル」

 ──不意に。

 呼ばれない筈のその“私を示す名前”を聞いて、私はそちらへと顔を向けます。

 その声は。その呼び名は。

「……アス?」

 私の影武者をしてくれているはずのアスが、そこに居ました。
 ……どうしてアスがここにいるのでしょう?
 頭に疑問符を沢山浮かべながらも、私は私の表情が動いていないことを自覚します。

──感情を、表に出してはいけない。

 心の奥深くまで刻みつけられたそれに、自然と身体が従いました。アレクと居ると気が緩んで感情が表に出てしまいますが、やはり私の本質はこちらのようです。──7年貴族でいれば、当たり前のことでしょうが。

「ルド?」

 声とともに、視界が白に遮られます。何がと思えば、それはアレクの後頭部でした。どうやら彼は、私とアスの間に立って私に背を向けているようです。背を向けている──いえ、正しくは守っているのでしょう。
 私のことをジルと呼んだ、正体不明の男から。

「誰? 逃げる?」
「あ、待ってください! 彼は違うんです」

 ポソリと尋ねられたそれに慌てて返事をすれば、困惑した目線と驚愕した目線が私を捉えました。
 困惑したのはアレク、驚愕したのは──私の従兄弟の、アスです。

「彼は私の従兄弟のアスです」
「従兄弟……ってことは、あなたもお貴族様?」

 訝しげな表情でアレクがアスを見ると、アスはひくりと眉を寄せました。

「ふうん……ルドよりかは下町慣れされてらっしゃる? 雰囲気がまだ馴染んでるみたいですけれど」
「あ、ええと……」

 アスにアレクを紹介する前に、アレクがアスに話しかけてしまいました。貴族の常識では非常識なこの行動も、市井では非常識に当たらないのでしょうか。あまりにも普通にしているので、非常識ではないようですが……。
 急ににこりと笑ったアスのその目は一切笑っていません。やはり非常識な行動をとったことで苛立っているのでしょう。決まりには厳しいアスですから、アレクの非常識な行為に怒りを覚えているようです。
 私が慌てて弁解しようとしましたが、アスがちらりと私を見て──その眼差しで、開きかけた口を閉じました。

 怒ったアスは怖いのです。

「君がアレク? どうも。ジルが世話になってるようで」
「どーも。ええと、お貴族様なんですよね?」
「そうだよ」
「だいぶ市井慣れされてるように思いますけど、ここには何度か来られてるんですか?」
「いや、ここには初めてきた。いつもは自領の街に下りてるかな」
「はあ……」

 おや、あまり怒ってないのでしょうか。とはいえ、どうしてアスがここに居るのでしょう? 何か緊急な用でもあったのでしょうか?

「アス、何か問題が──」

 私がアスに声をかけようとすると、急にアスはつかつかと此方に歩み寄り、アレクの肩を掴んでアスの方にと引っ張りました。

「えっ」
「なっ!?」

 アレクは体制を崩しましたが、右足を一歩前に出しただけでその場に留まりました。やはり反射神経がいいようです。
 すると、アレクの耳元に顔を近付けたアスはそのまま何かを呟きました。目の前にいるのに、何を言ったのか聞こえません。

「──って?」
「だから─────」
「────」

 そのままボソボソと二人は話し出し、私は一人どうすべきかと悩みました。まさか出会って早々、二人がこんなに仲良くなるとは思ってなかったのです。
 私の方がアレクと過ごした時間は長いですし、アスと過ごした時間も長いんですからね! と変な闘争心を抱いてしまうのはどうしてでしょうか? アスに聞けば教えてくれるでしょうか。
 それにしても長いです。まだ話しています。何をそんなに話すことがあるのか、出会って早々秘密を話し合うのは何事なのかと、少し心配にもなります。それとも、二人は元々知り合いだったのでしょうか?
 いえ、それなら先程のアレクの行動もアスの反応も矛盾が生じますし、今日この時が初対面で間違いはなさそうです。それならばなぜ──。

「───だよ」
「え? なら───……ですか?」
「だから──……」

「……お二人とも、仲良くなるのお早いですね」

 確かに一度目のお忍びの後、アスにはアレクのことを話しました。下町で助けてもらった少年と、また次も約束をしたことも。
 夕会の時間が直ぐでしたので、あまり詳しい話はできませんでしたが──アスはきっと、その少年に興味を持ったのでしょう。なら、影武者をしている筈のアスがここにいるのもわかる気がします。

 私の心からの言葉に、急に二人は私を振り返って──

「「仲良くなんかない(です)(よ)!!!」」

 ──同時に、叫びました。
 叫んだアスにも驚きですが、揃った声にも驚きます。

──いえ、物凄く仲良しに見えますけど。

 それはきっと、言わない方がいいのでしょう。
 私は言いそうになった口を、両手でそっと抑えました。
 話が終わったのでしょうか、アスがアレクから離れると私の方へと近付いてきました。アスがわかりやすく怒っているのが珍しく、私はまじまじとアスの顔を見つめてしまいます。

「ったく……とんだ×××ですね」
「はあ!? 初対面のあなたに言われたくないんだけど!?」

 先程までは丁寧な喋り方だったはずのアレクが乱雑に、市井の話し方をしていたアスがいつもの話し方になったのを聞いて、私はやはりと頷きました。

「やはり仲良く……」
「「なってない(です)(ってば)!!」」

 また揃った声に、キッとアスとアレクは互いを睨み付けます。

「「真似(しないで下さい)(すんな)!!!」」

 ……明らかに仲良しに見えますが、あまり言わない方が良さそうです。
 私はアスの腕を引き、こちらに意識を向けさせました。一つ上の彼は私より若干背が高く、少しだけ見上げます。

「ところで、どうしてここに?」

 私の影武者をしているのでは? という言葉は、流石に誰に聞かれているかわからないのでやめておきます。先程のアスとアレクと同じように、顔を近付け声を潜めます。
 アスは市井でも紛れられるような、いつもより粗末な服を着ていますが──きっとそれも、アレクにとっては『綺麗すぎる』のでしょう。確かにアスとアレクが並ぶと、その服の違いがわかります。こうして実際に見比べると違いがハッキリしているものですね。

「私も抜け出してきました」
「えっ!?」

 思わず声を上げてしまい、慌てて小さな声で「どうしてですか」と問いかける。
 気を利かせてくれたのか、少し離れた場所に居たアレクが怪訝な顔でこちらを伺うのを、なんでもないですと手を振りました。

「先週仰っていた子供に会うと聞いたので……一度この目で確かめておこうと」
「なんでそんな……」
「貴方様が騙されていないとも限らないので」
「……アレクは悪い人なんかじゃないよ」

 一回目のお忍びの後、アスと入れ替わる時に小声でいろいろ報告していたことを覚えていたアスはきっと、話に出てきた『アレク』がどんな人なのか気になったのでしょう。アスに似ている、と言ったのも原因かもしれません。

「いいえ。貴方様の前で良い顔をしているだけかもしれません。貴方様と仲良くするのも、利益があるからという打算かもしれません」
「そんな……」
「貴方様がなんと言おうと、あれは市井の者です。卑しく穢らわしい。貴方様が関わる必要のない存在なのですよ」

 そう言って、アスはちらりとアレクに目をやりました。アレクは出店の者と談笑していて、こちらには気付いていないようです。
 アレクを見つめるアスの目線には、優しさの欠片も見当たりません。どこまでも冷たく、そう──蔑んだ、視線でした。

「確かに貴方様を助けたことは賞賛に値します。が、それも貴方様の服装や話し方などを見て、『助ければ見返りがある』という打算からかもしれません」
「そんなこと」
「ないとは言わせませんよ。貴方様もご理解されていらっしゃるはずです。貴方様に近寄る者の、笑顔の裏に隠した顔を」
「……」

 確かに、日々の隙間をついて近寄ってくる人たちの笑顔は歪んでいて、気持ちが悪いです。始めは何も知らず、親切にされてただただ喜んでいましたが──今では、それが『私』ではなく、『私の身分によるお零れ』を求めていたものだとわかります。

「でも──でも、アレクは、本当の私を知らない」
「ですが、名乗ったのでしょう? なら、今は気付いてなくとも後々わかることです」

 それに──と言葉を続けるアスは、談笑するアレクを見つめたままで。何? と疑問を口にするよりも早く、アスの口が動きました。

「──あれは、絶対に怪しい」

 顔を顰め、アレクを睨みつけて。
 アスはまるで、なにかの仇のようにアレクを睨みました。

「おい!」

 私が呆然としていると、アスが大声をあげてアレクを呼びました。それに気付いたアレクが、出店の者に断ってこちらに駆け寄ってきます。

「なんだよ」
「私たちはこれで戻ります。世話になりました」
「「えっ!?」」

 今度は私とアレクの声が揃いました。アスの言葉に気を取られ、それに嬉しく思う余裕もありません。

「帰××?」
「ええ、帰ります。それでは」
「えっ、あの、アス!?」

 アスは私の腕を優しく取り、しかし有無を言わさない強さで引っ張ってどんどんとアレクから離れていきます。

「おい、ルドが着てた服と金が家にあるんだけど!」
「手切れ金として差し上げます。お好きになさって下さい」
「ちょ……!」
「ア、アス……!」

 どう足掻いてもアスにまだ力も剣技も叶わない私は、困惑したように立ち竦むアレクを振り返りました。もうだいぶ遠くなっています。今まで隣に居たのが嘘のようです。

「アレク! ごめん、今日はありがとう!」

 こんなに大声を出したのは初めてではないでしょうか。腕を掴むアスの手が、一瞬ぴくりと力を強めた気がします。
 私の声を聞いたアレクが、「おー!」と手を振ってくれました。急なお開きでしたが、きっとまた会えるでしょう。もしかしたらちょっとだけ嫌な顔をされるかもしれませんが、それでも私のわがままを最後まで叶えてくれそうです。

「アス」
「…………」
「アス、どうしたんだ?」
「……本当にあれは悪影響しか与えてませんね」
「アス?」

 無言で突き進むアスに何度か問いかけても、その後返事はなく。
 私たちはこっそりと、城に戻ったのでした。





...19/07/01





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